サーフィン後なのに、頭の中が仕事から離れなかった
今日は朝から海へ入った。
台風のうねりが入っていて、波には少し怖さもあった。
でも短時間ながら海へ入ることができたし、早朝の海は気持ち良かった。
本来なら、そのまま「良い朝だったな」という感覚で終わるはずだった。
でも、家へ帰ってシャワーを浴びている時、頭の中では別のことが何度も繰り返されていた。
昨日の仕事のことだ。
正直、それがかなり苦しかった。
「もう終わったこと」のはずなのに、身体が終わっていない
昨日、引っ越しのアルバイトで、以前からNGを出しているドライバーとまた組まされた。
その時、かなり強い恐怖を感じた。
もちろん、仕事だから多少のストレスはある。
相性の悪い人と働くこともある。
社会に出れば、それは避けられない。
自分でもそう思っている。
でも最近、少し感覚が変わってきた。
最近の自分は、
“仕事が終わった後に、自分へ戻れるか”
をかなり重要視するようになっている。
だから今回みたいに、
- 仕事が終わったあとも頭から離れない
- サーフィン後なのに思い出してしまう
- 安心している時間にまで侵入してくる
状態になると、
「これは少し危険かもしれない」
と思うようになった。
「我慢できるか」で判断し続けていた
振り返ると、自分はかなり長い間、
“我慢できるか”
で人生を判断してきた気がする。
仕事もそう。
人間関係もそう。
結婚生活もそうだった。
本当は苦しかった。
違和感もあった。
でも、
「まだ耐えられる」
「自分が我慢すればいい」
で長く続けてしまった。
実際、結婚生活もかなり早い段階で、
「このままだと厳しいかもしれない」
という感覚はあった。
でも、そのまま何年も我慢してしまった。
結果として、自分の心も身体もかなり削られていたんだと思う。
最近、「耐えられる」より「壊れない」が重要になってきた
最近、自分の中で働き方や生き方の基準が変わってきている。
以前は、
「どこまで頑張れるか」
を重視していた。
でも今は違う。
最近は、
“どこまで壊れずに続けられるか”
のほうが重要になってきた。
もちろん、我慢が必要な場面はある。
社会の中で生きる以上、それは避けられない。
でも最近思う。
“自分を削り続けること”
まで正当化してしまうと、人生全体がおかしくなっていく。
「仕事が終わった後」こそ、本当の影響が出る
最近かなり感じるのは、仕事の影響って、
勤務時間中だけでは終わらないということだ。
例えば、
- 家へ帰っても気持ちが戻らない
- 夜にフラッシュバックする
- 夢に出てくる
- 回復時間なのに神経が緊張している
そういう状態になると、単なる「嫌な仕事」を超えてくる。
特に最近の自分は、
- サーフィン
- ブログ執筆
- AIとの対話
- Webサイト運営
みたいな、
“仕事以外の時間”
もかなり重要になっている。
だから最近は、
「働けるか」
だけではなく、
“働いたあと、自分が残っているか”
を強く意識するようになった。
「快適に働きたい」は、甘えではない
昔の自分は、
「快適に働きたいなんて甘えだ」
と思っていた。
多少嫌でも我慢するべき。
嫌な人とも合わせるべき。
それが大人なんだと思っていた。
でも最近、少し考えが変わってきた。
もちろん、何でも理想通りにはならない。
でも、
- 安心できる
- 萎縮しすぎない
- 必要以上に恐怖を感じない
- 仕事後に回復できる
そういう環境って、かなり大事なんじゃないかと思うようになった。
特に自分みたいに、神経が強く反応するタイプは、
“平気なふり”
を続けるほど、あとから崩れる。
以前、無理をし続けて、うつ状態になった時もそうだった。
だから最近は、
「まだ耐えられる」
より、
「この状態を続けたら、自分はどうなるか」
を見るようになった。
「自分を守る」という視点が、ようやく持ててきた
今日、シャワーを浴びながら改めて思った。
自分はこれまで、
「頑張ること」
ばかり優先してきたのかもしれない。
でも最近は、
- 自分を守ること
- 自分を大切にすること
- 快適に働けること
- 神経を削りすぎないこと
そういう視点もかなり重要なんだと感じている。
特に最近は、
「無理を続けて壊れる」
より、
“長く続けられる状態を作る”
ほうが、人生全体では大事な気がしている。
まずは、「このままは良くない」と認識できた
まだ完全に答えが出ているわけではない。
でも今日、自分の中ではかなりはっきりした。
少なくとも、
“サーフィン後の回復時間にまで、仕事の恐怖が侵入してくる状態”
は、あまり良い状態ではない。
だから今後は、
「どこまで我慢できるか」
ではなく、
「どうすれば自分を守りながら生きられるか」
も考えていきたい。
最近ようやく、自分の人生を、
“耐久戦”
ではなく、
“長く続けられる運用”
として見始められるようになってきた気がしている。