最近、Web制作やAI活用の話になると、「どこまで自動化できるか」という話題をよく見る。
たしかに、それは分かりやすい。
記事作成。
画像生成。
SEO。
コーディング。
AIが人間の代わりにやってくれることは、確実に増えている。
でも実際に毎日手を動かしていると、少し違う感覚が出てくる。
AIは、仕事を全部やってくれる“代行者”ではない。
むしろ、「判断を速くしてくれる編集者」に近い。
最近は、そう感じることが増えた。
AIを使うほど、「何を書くか」より「どこに効かせるか」が重要になる
たとえば、毎日のコラム運用。
テーマを決める。
構成を考える。
タイトルを作る。
検索導線を整理する。
CTAを見直す。
これを全部人力だけで回していた頃は、「書くこと」そのものにかなりエネルギーを使っていた。
もちろん文章を書くのは嫌いじゃない。
でも、Web制作って本来、文章を書くだけの仕事ではない。
- どの記事を先に出すか
- どこから流入を取るか
- どのページへ遷移させるか
- 何を収益ポイントにするか
そういう“設計”のほうが、本当は重要だったりする。
AIを使うようになってから、その感覚がさらに強くなった。
AIがやってくれるのは、「判断前の重さ」を軽くすること
ChatGPTを使い始めて感じたのは、AIはゼロから完成品を作るというより、「叩き台」を高速で出してくれる存在だということだった。
見出し案を出す。
比較表を作る。
検索意図を整理する。
CTAの文章を複数パターン作る。
そういう、“考え始める前の空白”を埋めてくれる。
これはかなり大きい。
特に、疲れている時ほどそう感じる。
Web制作って、地味に判断回数が多い。
「どの方向で行くか」を一日中決め続ける仕事でもある。
だから本当に消耗するのは、作業量そのものより、「何を選ぶか」の連続だったりする。
AIは、その判断前の摩擦をかなり減らしてくれる。
制作フローそのものが変わった
以前の制作フローは、かなりシンプルだった。
制作して、修正して、公開する。
でも今は少し違う。
最近は、
- 判断
- 生成
- 編集
- 検証
- 公開
という流れになってきている。
ここで面白いのは、「生成」が真ん中に来たことだ。
つまり、AIによって“作ること”自体の希少性が下がっている。
誰でもある程度の文章は出せる。
見出しも作れる。
画像も生成できる。
だから逆に、「何を採用するか」のほうが重要になっている。
AI時代に残るのは、“編集の感覚”
最近、PVが伸び始めたプロジェクトを見ると、共通点がある。
それは、「大量に作っていること」ではなく、「どこに効かせるか」が整理されていることだ。
たとえば、
- この記事はどの検索意図を拾うのか
- この記事の次に何を読ませるのか
- どこで問い合わせへ繋げるのか
この導線設計が強い。
つまり、AI時代に価値が残るのは、「文章生成能力」そのものではなく、“編集の感覚”なのだと思う。
これは少し不思議だった。
AIが進化すると、人間は不要になると思っていた。
でも実際は逆で、「人間がどこを見ているか」のほうが重要になっている。
AIは、文脈が無いとただの騒音になる
もちろん、AIを使えば何でもうまくいくわけではない。
むしろ、方向が決まっていない状態でAIを使うと、かなり危険だ。
文章は大量に出てくる。
アイデアも増える。
でも、“何のために作るのか”が曖昧だと、全部ノイズになる。
これは実際、かなり怖い。
便利だからこそ、余計なものも大量に増える。
だから最近は、「AIに書かせる前に、自分が先に決める」ことを意識している。
- 今どのページを伸ばしたいのか
- 何を収益導線にするのか
- どの記事を優先するのか
そこだけ先に決める。
すると、AIはかなり強い。
逆に、そこが曖昧だと、どれだけ高性能なAIでも方向を見失う。
「早い制作」と「伸びる制作」は違う
AIを使うと、制作速度は確実に上がる。
でも最近は、「早いこと」と「伸びること」は別なんだと感じている。
大事なのは、生成されたものを“事業の文脈”へ戻せるかどうかだ。
このページは本当に必要か。
今この導線を優先すべきか。
この言葉は、問い合わせに繋がるか。
そこを編集できる人だけが、AIを武器にできる。
AI時代のWeb制作は、「何を作るか」より「何を残すか」
たぶんこれからは、誰でもある程度の制作ができる時代になる。
だから逆に、「何を増やすか」より、「何を選ぶか」のほうが重要になる。
AIは、作る速度を上げる。
でも、人間にしかできないのは、“意味を残す編集”なのかもしれない。
最近、そんなことを考えながら、また深夜にChatGPTを開いている。