波に乗れなかった日も、サーフィンはちゃんと続いている

サーフィンと生活

サーフィンというと、「海に入っている時間」が本番だと思われがちだ。

もちろん、実際に波に乗っている時間は特別だ。

でも長く生活の中にサーフィンが入り込んでくると、少し感覚が変わってくる。

むしろ、本番は海にいない時間に作られている。

最近、そんなことをよく思う。


「今日は入れなかった」が、以前ほど苦しくなくなった

昔は、海に入れない日があると、少し焦っていた。

風が合わない。
波が小さい。
仕事がある。
疲れている。

そういう理由で海へ行けないと、「今日は損したな」という感覚があった。

特に、サーフィンが生活の中心だった時期ほど、その感覚は強かった気がする。

でも最近は、少し考え方が変わってきた。

今は、「海に入らない日の過ごし方」が、次の一本を決めると思っている。


サーフィンは、海の中だけで完結していない

睡眠が短い日がある。

アルバイトから帰ると、頭が重くて何も考えたくない日もある。

タスクが積み上がって、優先順位を何度も並べ替えているうちに、一日が終わることもある。

以前は、そういう日を「サーフィンできなかった日」と切り分けていた。

でも今は違う。

そういう日の積み重ね自体が、実はサーフィンに繋がっている気がしている。

たとえば、

  • 無理に体力を削り切らないこと
  • 判断疲れを溜めすぎないこと
  • お金や仕事の不安を少し整理しておくこと
  • 睡眠や食事を完全に崩壊させないこと

こういうことって、一見すると波とは関係ない。

でも実際には、全部テイクオフに出る。


波のコンディションは選べない。でも、自分の状態は少し選べる

海って、本当に思い通りにならない。

風向きも変わる。
サイズも変わる。
昨日良かった場所が、今日は全然ダメなこともある。

でも、その中で唯一ある程度コントロールできるのが、「自分の状態」なんだと思う。

疲れ切っている日は、波を見ても焦る。

人が多いだけで消耗する。

一本ミスしただけで、気持ちが崩れる。

逆に、ちゃんと休めている日は、不思議と落ち着いて海を見られる。

焦って波を追わなくなる。

その差って、技術だけでは説明できない。

たぶん、海の外でどう生活していたかが、そのまま出ている。


「完璧じゃない日でも続ける」という感覚

サーフィンを長く続けていると、毎回ベストコンディションではいられないことが分かってくる。

身体が重い日もある。
パドルが進まない日もある。
全然乗れずに終わる日もある。

でも、それでも海へ行く。

そして意外と、そういう日のほうが記憶に残ったりする。

生活も似ている。

毎日完璧には進めない。

睡眠が足りない日もある。
仕事で削られる日もある。
思考がまとまらない日もある。

それでも、「今日はこれだけ進めよう」と決めて、小さく動く。

その感覚って、少しパドルに似ている。

派手じゃない。

でも、一掻きごとに少しずつ前へ出る。


海へ行けない日にも、サーフィンは進んでいる

最近は、「海に入ったかどうか」だけでサーフィンを判断しなくなった。

生活を整えること。
働き方を見直すこと。
無理しすぎないこと。
ちゃんと眠ろうとすること。

それも全部、サーフィンを続けるための動きなんだと思う。

特に年齢を重ねると、その感覚は強くなる。

若い頃みたいに、無理を押し切って海へ入るだけでは続かない。

生活そのものに余白がないと、海へ向かう気力も少しずつ削れていく。


「海の外」で育っているものがある

次に海へ向かう朝。

ボードを抱えて波を見た時、ふと気づく瞬間がある。

「あれ、前より落ち着いて見れているな」

たぶんそれは、技術だけじゃない。

海の外で積み上げてきた時間の分だけ、自分のリズムが少し育っている。

生活とサーフィンを分けないというのは、そういうことなのかもしれない。

波がない日もある。

海へ行けない日もある。

でも、その日々の中でも、サーフィンは静かに続いている。

そしてたぶん、それが長く続ける人の強さなんだと思う。

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