「まだ少し、自分の時間が残っている」
今日は8時半起床だった。
6時半頃に一度目が覚めたのだけれど、そのまま二度寝した。
昨日は22時まで働いていたこともあり、足の痛みがかなり残っていたので、無理をせず11時には寝ることにした。
結果として、今日は9.5時間睡眠。
最近の自分の中では、かなりしっかり寝られた方だと思う。
今週は、日曜・月曜の負荷が結構重い。
今日は朝から夜までの勤務。
そして明日は引越バイト。
だから今回は、「今夜どれだけ頑張れるか」よりも、「月曜まで身体を壊さず通過できるか」を優先した。
若い頃なら、多少無理してもそのまま走れた。
でも最近は、「まだ動ける」と「このまま続けると壊れる」が別物だと、かなり実感するようになってきた。
22時終了と20時終了では、世界が少し違う
今日は20時に仕事が終わる予定だ。
これが地味に大きい。
たった2時間。
でも、自分の感覚ではかなり違う。
22時まで働くと、帰宅した頃にはもう身体が終わっている。
特に最近は足の疲労が強くて、頭では「何かやりたい」と思っていても、身体がついてこないことが多い。
結果として、
- 帰宅
- 風呂
- 少しスマホ
- そのまま終了
みたいな流れになる。
すると、自分の中に少し停滞感が残る。
もちろん働くこと自体は大事だ。
生活もある。
でも、人って「労働だけ」で毎日を埋め尽くされると、少しずつ感覚が閉じていく気がする。
逆に、20時に終わる日は違う。
帰宅しても、まだ少し自分の時間が残っている。
「今日は少しだけ未来側を進められるかもしれない」
そんな感覚がある。
「何かを進められた感覚」が回復になる
最近、かなり強く感じていることがある。
それは、
人は“休んだ量”だけでは回復しない
ということだ。
もちろん睡眠は大事だ。
でも、自分の場合、
- 何かを整理できた
- 少し積み上がった
- 未完了が減った
- 自分の人生が少し進んだ
そういう感覚がある日の方が、精神的には回復している。
逆に、
- 労働だけで終わる
- 帰宅して寝るだけ
- 自分の側が何も進まない
日が続くと、身体以上に気持ちが重くなる。
最近、ゲームでもブログでも、Obsidian整理でも、「積み上がる感覚」にかなり安心する理由が少し分かってきた。
人って、本当は「成功」そのものより、
“自分の行動が、未来へ繋がっている感覚”
を求めているのかもしれない。
「今日はまだ少し、自分の人生が残っている」
昔は、「疲れていてもやる」が正義だと思っていた。
限界まで頑張る。
寝ない。
無理する。
そういうものが“努力”だと思っていた。
でも最近は少し感覚が変わった。
今は、
「どうすれば壊れず続けられるか」
をかなり意識するようになっている。
特に、自分みたいに、
- 労働
- 制作
- 思考整理
- 将来への不安
- 積み上げ型プロジェクト
を同時進行していると、「毎日全力」が一番危ない。
だから最近は、
- 今日は省エネで働く
- 深夜覚醒しすぎない
- でも少しだけ未来を進める
くらいの配分を考えるようになった。
これは怠けているわけではなく、「長く続けるための設計」に近い。
「自分の時間」があるだけで、人は少し戻れる
最近、20時上がりの日に感じることがある。
それは、
「まだ少し、自分の人生が残っている」
という感覚だ。
22時まで働いて帰る日と比べると、本当に違う。
たった2時間。
でも、その2時間があるだけで、
- ブログを書ける
- メモを整理できる
- 少し考えられる
- ゲームで前進感を得られる
- 明日の準備ができる
そういう“自分側の時間”が生まれる。
これって、単なる余暇ではないのだと思う。
自分の人生へ戻るための時間なのだ。
最近は特に、
「頑張り続けること」
より、
「ちゃんと自分へ戻ってこられること」
の方が大事なのかもしれないと感じている。
だから今日は、20時に仕事が終わるだけで、少しホッとしている。
まだ少しだけ、自分の時間が残っているからだ。