「好きなもの」は、辞めようとした時に初めて正体が分かる

感情と言葉

最近、ふと思ったことがある。

「好きなもの」とか、「好きなこと」って、本当にそれが自分にとって何だったのかは、“辞めようとした時”に初めて分かるのかもしれない。

続けている間は、案外分からない。

それが生活の中に普通に存在しているからだ。

空気みたいに当たり前になっていて、好きなのか、習慣なのか、自分でも区別がつかなくなる。

でも、一度離れようとすると急に分かる。

「あぁ、自分はこれに支えられていたんだな」

と。

「嫌いになった」のではなく、「疲れていた」

最近、自分の中で、いくつか「もう辞めてもいいかな」と思うものがあった。

サーフィン。

ブログ。

AIとの対話。

情報整理。

全部、一時的に距離を置きたくなっていた。

疲れていたのだと思う。

人は疲れると、「好き」を感じる力そのものが弱くなる。

好きなことですら、義務みたいに見えてくる。

特に、長く続けてきたものほどそうなる。

好きだから始めたはずなのに、気づくと、

  • やらなきゃ
  • 更新しなきゃ
  • 積み上げなきゃ
  • 成果を出さなきゃ

に変わっていく。

すると、好きだったはずのものが、「評価されるための作業」に変質していく。

そしてある日、

「もういいかな」

になる。

でも不思議なのは、本当に辞めようとすると、急に苦しくなることだった。

離れようとした時に、輪郭が見える

例えばサーフィン。

波が悪い日が続いたり、疲れて海に行けなかったりすると、

「もうそこまで好きじゃないのかもな」

と思う時がある。

でも、数日間まったく海を見ないでいると、なんだか感覚が濁っていく。

朝、波情報を見ない。

風向きを確認しない。

潮を気にしない。

ただそれだけなのに、自分の中の“時間の流れ”みたいなものがズレていく。

その時に初めて気づく。

サーフィンって、自分にとって単なる趣味ではなかったんだな、と。

海に入ることだけじゃない。

波を見に行くこと。

朝の空気を感じること。

風を読むこと。

今日は入るか、入らないかを考えること。

そういう全部を含めて、自分の生活のリズムになっていた。

辞めようとして初めて、それが「生活の骨組み」だったことに気づく。

好きなことは、「快楽」だけではない

昔は、「好きなこと」って、もっと楽しいものだと思っていた。

やっていて常にワクワクするもの。

テンションが上がるもの。

でも今は少し違う感覚がある。

本当に好きなものって、

“無くなると、自分の一部まで消える感覚があるもの”

なのかもしれない。

だから、好きなことには面倒も含まれている。

サーフィンなら、

  • 朝早い
  • 波が外れる
  • 疲れる
  • 寒い
  • 入っても微妙な日がある

それでも海へ向かってしまう。

ブログもそうだ。

書くのが面倒な日もある。

言葉が出ない日もある。

誰にも読まれていない気がする日もある。

それでも、完全に辞めようとすると、どこか苦しくなる。

つまり、「好き」は快楽だけでできていない。

むしろ、

“自分という存在を支えている感覚”

に近いのかもしれない。

「好き」を失うと、人は乾いていく

以前、かなり疲れていた時期があった。

仕事だけで毎日が埋まり、生活が「処理」だけになっていた。

起きる。

働く。

帰る。

寝る。

また働く。

その時期、自分の中から少しずつ色が消えていく感覚があった。

別に大きな不幸があったわけじゃない。

でも、「自分が好きだったもの」と切り離された状態が長く続くと、人は少しずつ乾いていく。

逆に言えば、「好きなもの」は、人生を派手に変えるものではないのかもしれない。

ただ、

  • 呼吸を整えたり
  • 感覚を戻したり
  • 自分を自分に戻したり

そういう役割をしている。

だから、本当に大事なものほど、失いかけるまで気づけない。

辞めようとして、逆に大事さが分かる

最近、自分の中で少し変わったことがある。

以前は、

「続けられるか」

ばかり考えていた。

でも今は、

「辞めようとした時、苦しくなるか」

を一つの基準として見るようになった。

もし辞めても何も感じないなら、それは本当に役目を終えたものなのかもしれない。

でも、辞めようとして妙に寂しくなったり、世界の色が少し薄く感じたりするなら、それはまだ自分に必要なものなんだと思う。

好きなものって、意外と静かだ。

大声で「これが人生だ!」みたいに主張してこない。

むしろ、普段はただそこにある。

当たり前すぎて、気づかない。

でも、一度手放そうとした時にだけ、急に輪郭を持ち始める。

「あぁ、自分は、これに生かされていたんだな」

と。

最近は、そんなことを考えている。

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