「世界を観測して記録したい」──“好きなこと”を探していたら、研究者みたいな欲求に行き着いた

働き方・仕事

最近、「自分の好きなことって何なんだろう」と考えていた。

得意なことではなく、“好きなこと”。

つまり、損得や評価を抜きにして、なぜか惹かれてしまうもの。

時間を忘れて没頭してしまうもの。

自分の内側から自然に発生する興味や衝動のようなものだ。

その答えを探すために、かなり長い時間、自分自身へ質問を投げ続けていた。

最初に出てきたのは、サーフィンだった

「お金の心配がなくなったら何をするか」

という問いに対して、真っ先に出てきたのはサーフィンだった。

AIがすべてを代わりにやってくれる世界になっても、自分でやりたいことは何か。

その答えも、サーフィンだった。

ここだけ見ると、

「サーフィンが人生」

みたいな話に見える。

実際、かなり大きな存在なのは間違いない。

でも、掘り下げていくと、少し違うものも見えてきた。

自分は、サーフィンそのものを“記録したい”わけではなかった。

むしろ、

実際に体験している瞬間そのもの

に価値を感じている。

映像では足りない。

写真でも足りない。

あの時の波の空気感や、海へ入った瞬間の身体感覚や、自分の感情の揺れ。

そういうものを含めて、「その瞬間」を味わうこと自体に意味がある。

でも同時に、

「放っておくと消えてしまう」

ことへの惜しさも、かなり強かった。

「なぜか記録したい」という感覚

今回、自分でも不思議だったのは、

「なぜ記録したいのか」

をうまく説明できなかったことだった。

承認欲求とも少し違う。

自己表現とも違う。

死への抵抗という感じでもない。

ただ、

なぜか記録したい。

それだけだった。

自分の行動。

感情。

思考。

世界で起きた出来事。

海の波。

空気。

疲労。

そういうものを、できるだけ“ありのまま”残したい。

しかも、自分は「演出」にかなり抵抗感があるらしい。

綺麗な物語にしたいわけじゃない。

感動的に見せたいわけでもない。

むしろ、作り手の意図で歪められることに強い違和感がある。

だから今回の対話でも、

「演出はいらない」

と何度も言っていた。

多分、自分が欲しいのは、

“ありのままの観測結果”

なんだと思う。

自分は「研究者側」の人間なのかもしれない

質問を続けていて、途中から見えてきたことがある。

それは、自分は案外、

“研究者的な視点”

で世界を見ているということだった。

例えば、

「観測することそのものが楽しい」

という感覚。

これはかなりしっくり来た。

蟻の巣をずっと見ていられる感覚に近い。

理解しなくてもいい。

意味が分からなくてもいい。

ただ観測すること自体が面白い。

しかもその対象は、自分の内面だけではない。

人間社会。

自然。

波。

天気。

感情。

出来事。

全部含めた「世界そのもの」。

そして、自分自身もその観測対象の一部に含まれている。

面白かったのは、「自然現象」に強く惹かれていたこと

今回、かなり意外だったことがある。

自分は人間観察が好きなのかと思っていた。

でも実際には、

自然現象の因果を理解すること

に、かなり強く惹かれていた。

特に、

「データから因果を説明できた時の納得感」

への反応が大きかった。

波。

風。

地形。

天候。

そういう複雑な現象を観測して、

「ああ、こういう因果で動いているのか」

と見えてくる瞬間。

そこにかなり強い魅力を感じていた。

これは多分、サーフィンとも繋がっている。

サーフィンって、単にスポーツではない。

自然現象の中へ、自分の身体を直接入れていく行為だ。

しかも波って、完全には予測できない。

だからこそ、観測したくなる。

理解したくなる。

でも完全には理解できない。

その距離感が、多分ずっと面白い。

「宇宙人が箱庭を眺める感覚」

今回のやり取りの中で、一番しっくり来た比喩があった。

それは、

「宇宙人が箱庭の地球を上から眺める感覚」

だった。

少し変な表現だけれど、かなり近い。

人類そのものへ強い愛着があるわけではない。

でも、人間社会を含めた“世界という現象”には興味がある。

美しいものだけではない。

醜いものも含めて。

感情も、疲労も、争いも、自然も、偶然も、全部含めて観測対象。

しかも、その観測結果をできるだけ正確に残したい。

これはもう、「趣味」というより、

世界を観測する習性

に近いのかもしれない。

「好きなこと」は、快感ではなく“自然に発生する行為”だった

今回、自分の中でかなり大きかったのは、

「好きなこと=強い快感」

ではなかったことだ。

楽しいとも少し違う。

安心とも違う。

使命感でもない。

ただ、

気づいたらやっている。

それだけだった。

観測する。

記録する。

メモを残す。

世界の流れを見ている。

その行為が、生活の中で自然に発生している。

だから今回、自分の“好き”を無理に綺麗な言葉へまとめる必要はない気がしている。

結局、自分が一番しっくり来たのは、

「世界のただ流れて消えるはずの瞬間を観測し、それを宇宙の棚に積み重ねる」

という感覚だった。

理由は、まだよく分からない。

でも多分、人間って、

「なぜ好きなのか説明できないもの」

を抱えながら生きているのだと思う。

そして、それこそが本当に“好きなこと”なのかもしれない。

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