夜、回転寿司チェーンのアルバイトから帰宅した。
最近、この仕事があまり面白く感じられなくなってきている。
理由はたぶん単純で、「仕事量に対して、負荷が高すぎる」と感じ始めているからだと思う。
もちろん、もっと肉体的に大変な仕事はある。
実際、別でやっている引っ越しのアルバイトのほうが、身体への負担だけで言えばかなり大きい。
重い荷物を運び続けるし、拘束時間も長い。
翌日に疲労が残ることも多い。
それでも、不思議と「もう無理だ」と感じるのは、最近は回転寿司のほうだったりする。
最初は理由がよく分からなかった。
でも、別の飲食店で働き始めてから、その違いが少しずつ見えてきた。
「忙しい」だけでは説明できない疲労
回転寿司のほうでは、厨房を担当している。
一方、最近始めた別の飲食店ではホールをやっている。
自分の感覚としては、本来ならホールのほうが苦手なはずだった。
接客は気を遣うし、人とのやり取りも多い。
性格的に向いているとも思っていない。
だから、働き始める前は、「ホールのほうが疲れるだろうな」と思っていた。
でも実際には、逆だった。
疲労感が強いのは、厨房のほうだった。
ここ最近、その理由が少し分かってきた。
問題は、「忙しさ」そのものではなかったのだ。
人員配置で、仕事の苦しさは変わる
ホールの仕事をしていて感じたのは、人が多いことの安心感だった。
もちろん忙しい時間帯はある。
注文も入るし、配膳も重なる。
それでも、誰かがフォローに入れる。
手が空いた人が別の人を助けたり、遅れている場所を自然に埋めたりできる。
つまり、仕事が「分散」される。
しかもホールは、仕事内容そのものが柔軟だ。
配膳していた人が片付けを手伝うこともできるし、レジ対応を代わることもできる。
その場その場で、負荷を動かせる。
これがかなり大きい。
一方、厨房は違う。
厨房は「逃げ場」が少ない
厨房では、それぞれが担当ポジションを持っている。
自分の場所の注文は、自分で処理する前提で仕事が回る。
もちろん周囲がフォローしてくれることもある。
でも、スペースの問題もあるし、作業内容の専門性もある。
だから、ホールほど簡単には助け合えない。
結果として、注文が増えた瞬間から、自分の処理能力がそのまま負荷になる。
しかも、注文は待ってくれない。
次々に流れてくる。
画面には注文が積み上がっていく。
その間ずっと、「急がなければ」という感覚が続く。
たぶん自分は、この「急かされ続ける感覚」にかなり消耗しているのだと思う。
体力というより、神経のほうが削られていく感じに近い。
人は「仕事量」より「孤立」に疲れるのかもしれない
最近、少し思う。
人は、単純な仕事量だけで疲れるわけではないのかもしれない。
それよりも、
「一人で抱え続けなければいけない状態」
のほうが、精神的にはキツいのではないか。
厨房で忙しくなってくると、ずっと緊張状態が続く。
自分が止まると回らなくなる感覚。
注文が溜まっていく圧迫感。
常に追われている感じ。
それが数時間続く。
しかも、その負荷に対して時給は高くない。
最近「割に合わないな」と感じ始めたのは、たぶんそのせいだと思う。
以前は比較対象がなかった。
だから、「仕事とはこういうものだ」と思っていた。
でも別の職場を経験して、「負荷の分散」というものが存在することを知った。
すると、今まで当たり前だった環境が、少し違って見えてきた。
「向いている・向いていない」だけではない
働いていると、よく「向いているかどうか」という話になる。
でも実際には、それだけでは説明できない気がする。
仕事内容よりも、
- 人員配置
- フォローしやすさ
- 責任の分散
- 空気の圧力
- 常時急かされる構造かどうか
そういう「仕事の設計」のほうが、人を疲弊させることもある。
同じ飲食業でも、働きやすさはかなり違う。
最近は、そういう部分を見るようになってきた。
昔は、「自分が弱いから疲れるんだ」と思っていた。
でも今は少し違う。
どんな構造の中に自分が置かれているのか。
それによって、人の疲れ方はかなり変わる。
最近感じている「キツさ」は、単なる甘えではなく、そういう構造の問題なのかもしれない。