「誰に向けて書いているんですか?」と聞かれて、少し考えた
最近、自分のブログを書きながら、ふと考えることがある。
「このブログって、誰に向けて書いているんだろう」
SEOを意識するなら、普通は“読者像”を決める。
年齢。
性別。
悩み。
検索キーワード。
そういうものを整理して、「この人へ届ける」という形を作っていく。
でも、自分のブログを見返してみると、少し違う。
もちろん、誰かに読まれることは嬉しい。
アクセスもあったほうがいい。
でも、一番強い動機はそこではない気がしている。
今の自分にとって、このブログは、
「未来の自分へ向けた記録」
に近い。
数年後、自分が読み返した時に、
「あの頃、こんなことを考えていたな」
と思えるようなものを残している感覚がある。
人は意外と、「過去の自分」を忘れてしまう
最近、昔のメモや日記を読み返すことがある。
すると驚く。
自分では覚えているつもりだった感情を、かなり忘れている。
どんなことで悩んでいたか。
どんな生活をしていたか。
どんなことで疲れていたか。
断片的には覚えている。
でも、その時の“温度”みたいなものは、思った以上に消えてしまう。
例えば、
眠れなかった日。
働くことが苦しかった時期。
人間関係に疲れていた頃。
逆に、小さなことで少し救われた夜。
そういうものって、その時は人生の中心みたいに感じているのに、時間が経つと意外なほど薄れていく。
だから最近は、
「未来の自分が読み返した時、ちゃんと当時の空気が残る文章」
を書きたいと思うようになった。
「成功記録」より、「途中の感情」のほうが残る
昔は、ブログって何か結果を出した人が書くものだと思っていた。
成功。
成長。
ノウハウ。
役立つ情報。
もちろん、それも大事だと思う。
でも最近は、それだけじゃない気がしている。
むしろ後から強く残るのは、
「途中の感情」
のほうかもしれない。
疲れていたこと。
酒を飲みたくなった夜。
海へ行きたかったのに行けなかった日。
仕事帰りに、ただコンビニの棚をぼんやり見ていた時間。
そういう、“何者でもない瞬間”のほうが、後から見ると妙にリアルだったりする。
人間って、多分、結果だけではできていない。
その途中にある、
迷い。
葛藤。
疲労。
回復。
孤独。
小さな安心。
そういうものの積み重ねでできている。
だから今の自分は、「綺麗に完成した話」より、「まだ途中の感覚」を残したいと思っている。
誰かに向けすぎると、本音が消えることがある
ブログを書いていると、時々迷う。
もっと役立つことを書いたほうがいいのか。
もっと検索を意識したほうがいいのか。
もっと読みやすく整理したほうがいいのか。
もちろん、それらも大切だ。
でも、他人を意識しすぎると、不思議と文章から“体温”が抜けていく。
「こう書けば好かれる」
「こう書けばバズる」
を考え始めると、本来あった感覚が少しずつ薄くなる。
それより最近は、
「未来の自分が読んで、ちゃんと当時を思い出せるか」
を基準にしたほうが、自然に書ける気がしている。
そのほうが、不思議と嘘が減る。
無理に強く見せなくていい。
ちゃんとしているふりをしなくていい。
「今はまだ途中です」
という状態のまま書ける。
「未来の自分向け」の文章は、結果的に他人へ届く
面白いのは、未来の自分へ向けて書いている文章ほど、意外と他人にも届くことだ。
多分、人は“完成した人”の話より、
「今もまだ悩みながら生きている人」
の言葉のほうに安心する瞬間がある。
特に最近は、SNSを見ても、
- すごい人
- 成功した人
- 正しいことを言う人
ばかりが流れてくる。
だから逆に、
「今日は疲れていた」
「なんとなく苦しかった」
「でも生活は続いている」
みたいな文章のほうが、静かに刺さることがある。
自分自身も、昔そういう文章に救われたことがある。
大きな成功談ではない。
ただ、誰かが“ちゃんと生きていた記録”。
それだけで少し安心できる夜があった。
ブログは、「生きた痕跡」を残す場所なのかもしれない
最近、自分のブログは、情報発信というより、
「生活の痕跡」
を残す場所に近い気がしている。
海へ行った日。
行けなかった日。
働いて疲れた日。
AIと話しながら整理した夜。
酒を我慢した帰り道。
そんなものを少しずつ積み重ねている。
正直、今はまだ何かを達成したわけではない。
生活も途中。
仕事も途中。
人生も途中だ。
でも、だからこそ残せるものがある気がしている。
完璧になってからでは、多分書けない。
揺れている最中だからこそ見える景色がある。
数年後の自分が、少し笑えたらいい
今の自分は、多分、未来の自分へ向けて書いている。
数年後、読み返した時に、
「あの頃、結構頑張ってたな」
と思えたら、それで十分かもしれない。
上手くいっていなくてもいい。
迷っていてもいい。
疲れていてもいい。
ただ、その時ちゃんと生きていたことが残っていれば、それだけで少し意味がある気がしている。
そして多分、人の心に残る文章って、
“すごい文章”ではなく、
「ちゃんと生きていた温度」が残っている文章なのだと思う。