最近、「ずっと疲れている」が普通になってきている
今日は11時半に起きた。
昨日はたぶん0時頃には寝ていたと思う。
でも途中で何度も目が覚めた。
夢見もかなり悪かった。
内容はほとんどアルバイトの夢だった。
厨房の空気感。
急かされる感じ。
仕事中の嫌な緊張感。
現実で感じている疲労が、そのまま夢へ侵入してくるような感覚だった。
起きても全然スッキリしない。
身体も重い。
全身に筋肉痛が残っている。
「ちゃんと寝たはずなのに回復していない」
そんな朝だった。
今日は夕方から回転寿司屋のアルバイトがある。
そして明日は引っ越しのアルバイト。
最近、この流れが少し苦しくなってきている。
疲労が「その日」で終わらなくなってきた
特に引っ越しのアルバイトは、疲労の残り方が深い。
以前は、「翌日が少ししんどい」くらいだった。
でも最近は違う。
疲労が2日くらい尾を引く。
前腕の筋肉痛。
全身のだるさ。
妙な眠気。
しかも厄介なのは、その回復途中で別の仕事が入ることだ。
すると、完全に回復しないまま次の負荷が始まる。
だから最近は、
「疲れる」
というより、
“ずっと回復し切れていない”
感覚に近い。
しかも肉体労働って、筋肉だけの問題では終わらない。
朝早い起床。
長時間拘束。
人間関係。
常に急かされる空気。
ミスできない緊張感。
そういう神経疲労も一緒に積み上がっていく。
身体より先に、神経のほうが削られている日もある。
「バイトのために生きているみたいだ」と思った
最近ふと、かなり嫌な感覚になることがある。
それは、
「自分は何のために回復しているんだろう」
という感覚だ。
働いて疲れる。
休む。
回復する。
また働く。
そしてまた疲れる。
その繰り返しだけで、一週間が終わっていく。
もちろん、生活のために働くこと自体は必要だ。
今の自分は、アルバイト収入が生活を支えている。
だから仕事そのものを否定したいわけではない。
でも最近、
“次の労働へ耐えるために回復している”
感覚がかなり強くなっている。
それが少し苦しい。
本当は、
- 文章を書いたり
- AIを使って開発したり
- サイトを育てたり
- 海へ行ったり
- 自分の考えを整理したり
そういうものを、生活の中心へ置きたい。
でも現実には、
「労働で削られた身体と神経を戻す」
ことが優先になっている。
すると、少しずつ感覚がズレてくる。
気づけば、
「バイトを続けるために生きているみたいだ」
と思う瞬間がある。
頭は動くのに、身体が追いつかない
自分で少し厄介だと思うのは、思考はまだ動いてしまうことだ。
身体は疲れている。
筋肉痛もある。
夢見も悪い。
でも、頭は動く。
AIとも会話できる。
記事構成も考えられる。
だから、「まだいけるな」と判定してしまいやすい。
でも最近は、そのズレが少し怖い。
頭が動くことと、回復していることは違う。
以前の自分は、そのまま押し切っていた。
疲れていても動く。
眠くても進める。
多少無理してでも積み上げる。
でも、それを続けると、どこかでまとめて崩れる。
実際、以前かなり無理をして、心身ともに動けなくなった時期がある。
だから最近は、
「まだ動ける」
ではなく、
「この状態を続けても壊れないか」
を見るようになってきた。
人は「疲労」より、「終わりが見えない状態」で消耗する
今回、自分の中でかなり大きいのは、
「来週には回復する」
感覚が薄いことかもしれない。
明日はまた引っ越しのアルバイト。
その後また筋肉痛。
その回復途中で別の仕事。
そういう流れが見えている。
人って、多分、単純な疲労だけなら意外と耐えられる。
でも、
“この状態が終わらないかもしれない”
と思った時、一気に苦しくなる。
最近感じている「残念さ」って、単に身体が疲れているだけではない。
「生活全体が、回復と労働だけで埋まり始めている」
ことへの違和感なんだと思う。
本当に欲しいのは、「安心して休める状態」なのかもしれない
最近よく考える。
自分は、本当は何が欲しいんだろう、と。
もっとお金が欲しいのか。
もっと自由が欲しいのか。
もっと楽になりたいのか。
もちろん、それもある。
でも最近、一番近い感覚は、
“安心して休める状態”
なのかもしれない。
今は、休むと収入が止まる。
だから完全には止まれない。
でも本当は、
「今日は回復を優先しよう」
を、もう少し安心して選べる状態が欲しい。
そのために、自分は今、
- サイトを育てたり
- AIを使った仕組みを考えたり
- ブログを書いたり
している部分もあるんだと思う。
つまり、
「働きたくない」
ではなく、
“労働だけで人生が埋まらない状態”
を作りたい。
疲れている今だから見えてくることもある
正直、今はかなり疲れている。
夢見も悪い。
筋肉痛も残っている。
身体も重い。
でも、その状態だからこそ見えてくるものもある。
昔の自分なら、
「気合が足りない」
で片付けていたかもしれない。
でも最近は違う。
人間って、無限には回復しない。
そして、回復を前提に組まれていない生活は、少しずつ感覚を削っていく。
だから最近は、
「どこまで頑張れるか」
より、
「どうすれば壊れずに続けられるか」
のほうが大事なんじゃないかと思い始めている。
そして多分、本当に欲しい自由って、
何もしないことではなく、
「疲労だけで人生が埋まらない状態」
なのだと思う。