総勘定元帳から8月の支出を拾っていて、手が止まった。
タバコ代、18,490円。
自分でも「月に2万円近く使っているかもしれない」という感覚はあった。だから、まったく予想外の金額ではない。それでも、感覚の中にあった数字と、帳簿に残った数字は重さが違った。
同じペースが1年続けば、単純計算で22万円を超える。ただ、そこで即座に「もうやめよう」ときれいに決意できたわけではなかった。むしろ金額を見たあと、もう一つ曖昧なままにしていたことが気になった。
私は、1日に何本吸っているのだろう。
小さな支払いの集計が18,490円になった
タバコは、一度に18,490円を支払う買い物ではない。買うたびの金額だけを見れば、家計を大きく動かした感覚は残りにくい。けれど、ひと月分をまとめると、無視しづらい大きさになっていた。

正確には、これは8月中に帳簿へ記録されたタバコの購入額だ。買った日と吸った日は必ずしも一致しないから、この金額だけで8月の喫煙量までは分からない。それでも、生活から実際に出ていったお金であることは変わらない。
以前、軽い銘柄や安い銘柄へ変えても、本数が増えれば支出は減らないと考えたことがある。その時点では「1本の値段ではなく、1日の総量を見るべきだ」というところまでだった。今回は、ひと月の購入額が実数として出てきた。
考え方として分かっていたことが、ようやく自分の家計の数字になった。
金額より怖かった「何本か分からない」という事実
その日の昼過ぎ、すでに10本近く吸った感覚があった。ただし、最初から数えていなかったため正確ではない。
そこで途中から、吸うたびに記録してみた。昼過ぎから翌朝5時48分までに増えた記録は18本。単純に足せば合計は28本前後に見えるが、前半が「10本近く」という記憶なので、結局その日の総数は分からないままだった。

18本という数字にも驚いたが、それ以上に引っかかったのは、自分の行動なのに自分で把握できていないことだった。1本ずつは覚えていなくても当然だと思っていた。けれど、数え始めてから翌朝までの間だけで18回も手が伸びていた。
以前にも、吸いすぎた不安から「まずは本数を数えなければ」と書いている。それでも実際には、数えない日へ戻っていた。分かったことと、できていることは同じではなかった。
今回新しく見えたのは、数える必要性ではなく、数えないまま吸い続けると、どこまで曖昧になれるのかという現実だった。
数えないほうが、気持ちは楽だった
なぜ今まで正確に数えなかったのか。単に面倒だったから、という部分もある。ただ、本数が増えるたびに「また吸った」と突きつけられるのが嫌だったのだと思う。
数えなければ、「今日は多かった」で済ませられる。20本なのか、30本近いのかを決めなくていい。曖昧さは不便だけれど、自分を直視せずに済む場所にもなっていた。
けれど、本数が分からなければ、減ったのか増えたのかも分からない。18,490円という月額だけを見ても、価格の影響なのか、本数の影響なのか判断できない。金額は家計の現実を示し、本数は行動の現実を示す。どちらか一方だけでは、自分に何が起きているのか見えないのだと思う。
タバコをやめられないことを、意思の弱さだけで説明しても前へ進まない。そのことは、以前のチェーンスモーキングの経験でも感じていた。
だから今回も、数字を自分を責める材料にはしたくない。ただ、責めないことと、見ないことも同じではない。
まずは、吸った1本をなかったことにしない
9月11日から、吸った本数を正確に記録することにした。最初から減らす目標を決めるのではなく、まず1本吸うたびに1本として残す。

記録しただけで本数が減るのか。18,490円という支出がすぐ変わるのか。今の時点では分からない。数えることに疲れて、途中で嫌になる可能性もある。
それでも、分からないまま「たぶん多い」と感じ続けるよりは、今の状態を知るところから始めたい。
ひと月18,490円。そして、数え始めたあとの18本。
似た数字が並んだのは偶然だけれど、どちらも、それまで曖昧だった喫煙を具体的なものに変えた。私はまだ、そこから先の答えを持っていない。
ただ次に振り返るときは、「かなり吸った気がする」ではなく、「実際に何本だった」と言える。その数字が減っていても、増えていても、まずはなかったことにしない。
今できるのは、その小さな記録からだと思っている。


