朝5時頃、自然に目が覚めた。
前日に寝たのは深夜2時頃だったので、睡眠時間は3時間ほどしかない。
普通に考えれば、かなり寝不足だと思う。
しかも今日は、朝から引っ越しのアルバイトが入っている。
身体を使う仕事なので、本来ならもっと重く、だるく、ギリギリまで横になっていたくなるような朝でもおかしくなかった。
でも、そのわりには少し余裕があった。
もちろん眠い。
身体も完全に回復している感じではない。
ただ、不思議と「何も整理されていないまま現場へ向かう感覚」が少なかった。
最近の自分を振り返ると、この違いは結構大きい気がしている。
朝にデイリーノートを書けた
今日は珍しく、出発前にデイリーノートを書く時間が取れた。
ほんの少しの時間だったと思う。
でも、その短い時間の中で、
- 今の自分の状態
- 今日の負荷
- 睡眠時間
- 気分
- 身体感覚
を、一度ちゃんと言葉にできた。
たぶん最近の自分にとって、この「自分の状態を把握する」という工程がかなり重要になっている。
以前は、起きた瞬間から流れに飲まれていた。
目覚まし。
準備。
出勤。
仕事。
考える余白がないまま、一日が始まる。
すると、疲れているのか、気持ちが重いのか、それとも単に眠いだけなのか、自分でも分からなくなる。
そして、なんとなく「ずっとしんどい」という感覚だけが残る。
でも今日は違った。
短い時間でも、一度立ち止まれた。
それだけで、少しだけ自分の輪郭が戻っていた気がする。
「寝不足=全部ダメ」ではない
最近、自分の中で少し感覚が変わってきている。
以前は、睡眠時間が短いと、その時点で「今日はダメだ」と思っていた。
もちろん、睡眠は大事だ。
それは間違いない。
でも実際には、人の状態ってもっと複雑なのだと思う。
たとえば、
- 睡眠時間は短い
- でも頭は妙に冴えている
- 神経は起きている
- ただ身体回復は追いついていない
みたいな日がある。
逆に、長く寝ても、頭の中が散らかっていて、何も始められない日もある。
最近は、「何時間寝たか」だけではなく、
- 自分の内部状態が見えているか
- 頭の中が未整理のまま暴走していないか
- “自分が今どこにいるか”を把握できているか
のほうが、日中のしんどさに影響している気がしている。
今日は3時間睡眠だった。
それでも、デイリーノートを書けたことで、少なくとも「自分がどういう状態で現場へ向かうのか」は把握できていた。
これは、自分にとってかなり大きい。
仕事によって、疲労の種類は違う
今日向かう引っ越しの仕事は、かなり身体を使う。
重い荷物を運ぶし、拘束時間も長い。
終わる頃には、全身が重くなっていることも多い。
でも最近、別の飲食店で働くようになってから、「疲労にも種類がある」ということを強く感じるようになった。
飲食店の忙しい厨房では、常に急かされ続ける感覚がある。
注文。
時間。
周囲との同期。
詰まり。
スピード。
ずっと神経が緊張し続ける。
一方、引っ越しの仕事は確かに大変だけれど、負荷の構造が少し違う。
もちろん気遣いは必要だし、集中力も使う。
でも、飲食店のような「秒単位で空気に同期し続ける感覚」は比較的少ない。
だから最近は、
「身体が疲れる仕事」と
「神経が削られる仕事」
を、少し分けて考えるようになった。
これは、自分の生活を整理するうえで結構大きな発見だった。
人は“未整理のまま動く”と消耗する
最近感じているのは、人は単純に忙しいから疲れるわけではない、ということだ。
もちろん物理的な疲労もある。
でも、それ以上に、
- 自分の状態が分からない
- 何を感じているか整理できていない
- 気づかないうちに無理をしている
この状態のまま動き続けると、あとから強く消耗する気がしている。
だから最近は、メモを書く。
デイリーノートを書く。
AIとの会話ログを整理する。
頭の中を、一度外に出す。
外から見ると、ただの日記や雑務に見えるかもしれない。
でも、自分にとってはかなり重要な作業になっている。
整理されていない状態で動き続けると、自分の感覚が少しずつ分からなくなる。
逆に、短い時間でも言葉にすると、
「ああ、今こういう状態なんだな」
と、自分を客観的に見られる。
今日は3時間睡眠だった。
決して万全ではない。
でも少なくとも今日は、
“何も分からないまま流される朝”
ではなかった。
自分の状態を、自分で確認してから始まる朝だった。
それだけでも、以前より少し楽に生きられている気がする。