「再生数は少ないのに、なぜか残したくなる」スリランカ旅動画をまた作りたくなった朝

AIとWeb制作

最近、少しだけ余裕が出てきた。

毎日積み上げていたコラムの予約投稿が、少し先まで入るようになってきたからだ。

旅行系サイトのコラム。
サーフィン関連のコラム。
少し前までは、「今日投稿するもの」を毎日その日に作っていた感覚だった。

でも最近は、未来の自分を少し助けられるくらいには、ストックができ始めている。

すると不思議なもので、止めていたことをまた考え始める。

最近また、YouTubeを再開しようかなと思い始めている。

再生数は少ない。でも、なぜか残したい

自分がやっている動画は、いわゆる「伸びる動画」ではない。

スリランカを旅した時の記録。
現地を歩いた映像。
移動。
食事。
街の空気。
宿の感じ。
その時その時に見た景色。

派手な演出があるわけでもない。

どちらかというと、フィールドログに近い。

だから再生数は多くない。

YouTubeとして見れば、効率はかなり悪いと思う。

編集にも時間がかかるし、作業負荷も高い。

正直、「コスパ」で考えるなら、ブログ記事を書いているほうが圧倒的に効率が良い。

最近は生成AIも使えるようになってきて、文章制作の負荷はかなり下げられるようになった。

でも動画は違う。

まだ、自分の中では“重い制作物”のままだ。

それでも、なぜかまた作りたくなる。

ここが、自分でも少し不思議だった。

動画は「作品」ではなく「保存」なのかもしれない

最近、その理由が少し分かってきた気がする。

自分にとって旅動画は、「伸ばすコンテンツ」というより、“保存”に近いのだ。

未来の自分のための記録。

数年後に見返した時、

「ああ、この時こんな空気だったな」

と思い出せるもの。

動画って、文章より保存される情報量が多い。

街の音。
歩く速度。
店のざわつき。
空の色。
現地の湿度感。

そして、その時の自分自身。

疲れている感じ。
楽しそうな感じ。
無理している感じ。
言葉にできない空気感。

そういうものまで残る。

ブログにも記録性はある。

でも動画には、「その瞬間の存在感」みたいなものが保存される。

だから、自分の中では完全に切り捨てられないのだと思う。

「収益」だけでは測れないものがある

もちろん、現実的な問題はある。

動画編集は重い。

撮影。
素材整理。
カット。
BGM。
テロップ。
書き出し。
アップロード。

全部をやろうとすると、かなり時間が溶ける。

しかも、今の自分には他にもやることがある。

コラム制作。
サイト運営。
アルバイト。
生活。

だから、「動画に時間を使うのは非効率では?」という感覚もずっとある。

実際、その通りだと思う。

今の時代、効率だけを考えるなら、もっと他に優先すべきことはたくさんある。

でも最近思う。

人って、効率だけで生きると、だんだん「自分が何を残したかったのか」が分からなくなる。

特に、自分みたいに、

  • 仕事
  • 労働
  • AI
  • 情報整理
  • 生存戦略

みたいなことを日常的に考えていると、どうしても「回収効率」で物事を見始める。

もちろん、それは大事だ。

生活は現実だから。

でも、その一方で、

「これは効率悪いけど、未来の自分が喜ぶ」

みたいなものまで全部削ってしまうと、人生がただの最適化ゲームになっていく感じがある。

最近また動画を作りたくなったのは、たぶんそこなのだと思う。

AIは「全部を作る」のではなく「重さを減らす」方向へ進んでいる

最近は生成AIもかなり進化してきた。

文章はかなり助かっている。

昔なら何時間もかかっていた構成や下書きが、今はかなり短時間でできるようになった。

でも動画は、まだ少し違う。

少なくとも、自分が作りたい「旅の空気感」は、完全自動生成だとまだ嘘っぽくなる。

たぶん、自分が残したいのは「綺麗な映像」だけではない。

歩いている時の間。
現地で感じた空気。
少し疲れている感じ。
無言の時間。

そういう、“人間側のノイズ”も含めた記録だからだ。

だから現時点では、AIに全部作らせたいわけではない。

ただ、最近は少し考え方が変わってきた。

AIは「作品を代わりに作る」というより、「重さを減らす」方向で使うのが合っているのかもしれない。

タイトル。
概要欄。
チャプター。
素材整理。
文字起こし。

そういう部分を少しずつ軽くできれば、動画制作全体の負荷も変わってくる。

「続けられる形」に変えていく

昔の自分は、動画を作る時に「ちゃんと作ろう」としすぎていた気がする。

凝った編集。
綺麗な構成。
完成度。

でも今は、少し考えが変わってきた。

たぶん大事なのは、“続けられる形”にすることなのだと思う。

短くてもいい。

完璧じゃなくていい。

空気が残っていれば、それでいい。

未来の自分が見返した時に、

「ああ、この時ちゃんと生きてたな」

と思えるなら、それだけで十分価値がある気がしている。

この記事を読んで、何か感じるものはありましたか?
読んで何か感じるものがあったら、そっと「いいね」を押してもらえると嬉しいです。

関連記事

目次