引っ越しのアルバイトが終わり、帰りの電車に乗っている。
今日は、以前から「NG」を出していたドライバーと一緒の現場だった。
朝から、「今日は何事もなく終わればいいな」と思っていた。
もちろん、仕事だから多少のストレスはある。
相性の悪い人と組むことだってある。
だから最初は、「今日はたまたま普通に終わるかもしれない」とも思っていた。
でも実際に始まってみると、やはりいつも通りだった。
いや、いつも以上だったかもしれない。
細かい言い方。
空気感。
急かされる感覚。
こちらのペースが削られていく感じ。
一つひとつは小さい。
でも、それが長時間続く。
そして終わる頃には、かなり神経を削られている。
今日改めて思った。
「ああ、やっぱりこの人は、自分にとってNGなんだな」と。
「嫌な人がいる」ではなく、「継続可能か」の問題
最近、自分の中で少し感覚が変わってきている。
昔だったら、「我慢するかどうか」で考えていたと思う。
仕事なんだから仕方ない。
人間関係はどこでもある。
自分が気にしすぎなのかもしれない。
そうやって、自分側で処理しようとしていた。
でも最近は、少し視点が変わってきた。
今考えているのは、「耐えられるか」ではなく、
“この環境を長期的に運用できるか”
ということだ。
特に今の自分は、仕事以外にもかなり多くのものを抱えている。
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そういうものを維持していくには、「仕事が終わったあとに神経が残っているか」がかなり重要になる。
だから最近は、「どれだけ疲れるか」だけではなく、
“どういう種類の疲労が残るか”
を見るようになった。
「また組まされる」が、一番消耗する
実は今回、このドライバーと組まされるのは初めてではない。
以前にも一度あった。
その時点でかなりしんどかった。
だから自分の中では既に、
「次また組まされたら、支店移動を考えよう」
というラインを引いていた。
つまり今回の判断は、衝動ではない。
一度保留し、観察し、再確認した結果だ。
ここは、自分の中でも結構大きい。
しかも今回、一番しんどかったのは、「嫌な人と働いたこと」そのものより、
“NGを出しているのに、また組まされる”
という部分だった。
つまり、「今後も起こり得る」という感覚。
たぶん自分は、「たまたまの嫌な出来事」には耐えられる。
でも、
「これは今後も繰り返される」
と思った瞬間に、急に消耗が深くなる。
それは単なるストレスではなく、「逃げ場がない感覚」に近い。
「バイトごときがNGを出すのはおこがましい」という感覚もある
もちろん、自分の中にも葛藤はある。
正直、
「アルバイトの立場でNGを出すなんて、おこがましいのでは」
という感覚もある。
現場は人手不足だし、配車やシフト調整が大変なのも分かる。
自分一人の都合だけで、全部が回るわけではない。
だから、最初の一回は我慢した。
でも、現実問題として、
“相性の悪い人と長時間マンツーマンで働き続ける”
というのは、かなり神経負荷が高い。
しかも、この業界では実際に、
- バイト側からのNG
- ドライバー側からのNG
が、ある程度運用されている。
つまり、「絶対に言ってはいけないこと」ではなく、現場調整の一部として既に存在している文化でもある。
だったら、自分の中で限界を感じている部分を、ちゃんと伝えること自体は、そこまで不自然ではないのかもしれない。
帰り際、支店移動の意向を伝えた
帰り際、かなり悩んだ。
でも最終的に、店長へ支店移動の意向を伝えた。
以前の自分なら、たぶん言わなかったと思う。
「面倒な人だと思われたくない」
「我慢したほうが早い」
「現場も大変だろうし」
そうやって飲み込んでいた気がする。
でも今日は、ちゃんと伝えた。
それだけでも、自分の中では結構大きい。
しかも、移転希望先の支店は、自宅からかなり近い。
バイクなら移動もかなり楽になるし、もしバイク修理中でも自転車で通える距離だ。
通勤そのものの負荷が減るのは、生活全体を考えると結構大きい。
ただ、返答は少し曖昧だった。
「先方の店長に聞いてみる」
という感じ。
もちろん、本当に確認が必要なのかもしれない。
でも同時に、「今の支店としては移動してほしくないんだろうな」という空気も少し感じた。
最近、人手不足っぽい感じは見えていたからだ。
「我慢」だけが正解ではない
昔は、「環境を変えたい」と思うこと自体に罪悪感があった。
逃げなんじゃないか。
甘えなんじゃないか。
でも最近は少し違う。
もちろん、何でも避ければいいとは思わない。
ただ、自分の中で、
- 一度観察した
- 一度我慢した
- 再発した
- 今後も続きそう
ここまで揃ったなら、それは単なる気分ではなく、ちゃんとした判断材料なんだと思う。
最近少しずつ、
「自分が何に消耗するのか」
が分かるようになってきた。
そして今は、「耐えること」より、
“長く運用できる環境へ調整すること”
のほうが、生活全体には重要な気がしている。