ゲームを1回プレイする。録画を見返す。そこで起きたことを自分の言葉で書き出し、そのノートをAIへ渡して記事に整える。
最近の『ELDEN RING NIGHTREIGN』の記事は、だいたいこの順番で作っている。当日の攻略結果や、1日1プレイに絞った効果、ゲームをPDCAで進める感覚は、すでに別の記事にした。今回は、その裏側で少しずつ固まってきた「プレイを文章へ変えるまで」の工程だけを残しておきたい。
プレイと記事が互いに次の行動を作るようになった経緯は、以前の記事に書いている。
録画には、迷った理由までは映らない
録画を見れば、どのルートを通り、どの敵に負け、どの武器を使ったかは確認できる。記憶だけで書くより、事実はずっと正確になる。
しかし、映像に残るのは操作と結果だ。その場所でなぜ立ち止まったのか。何があると思って進んだのか。予想と違った瞬間に何を考えたのか。プレイ中の迷いまでは、画面だけでは完全には戻ってこない。
そこで録画を再生しながら、起きたことを時系列で追い、自分が覚えている判断や疑問も一緒に書くようになった。「倒した」「負けた」だけではなく、「ここではいけると思った」「この攻撃のあとなら入れると思ったが、実際は間に合わなかった」と残す。これが今のフィールドノートになっている。
AIへ渡す前に、自分で一度書く
今の流れでは、プレイ動画からいきなりAIに記事を書かせない。まず自分でフィールドノートを作る。そのあと、いつも使っている執筆プロンプトと一緒に、別のCursorスレッドへ渡して文章を整えている。
この順番にしているのは、AIに文章を書いてもらう前に、その日の事実と自分の感触を固定しておきたいからだ。文章としてきれいでなくても、主語が抜けていてもいい。どこで「あれ?」と思ったのかが残っていれば、あとで記事を整えるときの芯になる。
判断途中を記事として残す理由は、「フィールドノート型」のブログについて書いた記事にもつながっている。
原文をそのまま使いたくなった
ある日のプレイ後、かなり長いフィールドノートができた。書き終えたとき、これは素材として渡して消費するだけではもったいないと思った。整える前の原文には、公開用の記事から削られる細かな迷いや、考えが変わる途中の揺れが残っていたからだ。
そこで一度、「原文を中心にして、AIは薄い編集だけを加える形でもよいのではないか」と考えた。読みやすく直しすぎなければ、その日の温度をもっと残せる気がした。
ただ、今回はその方法へ切り替えなかった。従来のプロンプトで記事化する流れを続け、原文のフィールドノートは別に保存した。公開記事と原文のどちらか一方を選ぶのではなく、役割の違う記録として両方残す形だ。
原文には、その日の自分がいる。公開記事には、事情を知らない人でも読める入口がいる。今のところ、この二つを無理に一つへまとめないほうが扱いやすいと感じている。
AIの性能より、渡すログの質が効いていた
同じ作業を繰り返すうちに、フィールドノートの書き方も少しずつ変わってきた。以前より、出来事だけでなく、出撃前の目標、途中で変わった判断、うまくいかなかった仮説、次に切り分けたい疑問まで書けるようになった。
すると、同じようなプロンプトでAIに渡しても、返ってくる記事が良くなった。少なくとも今は、最後に使うモデルや言い回しだけでなく、その前に作るログの解像度が記事の質を大きく左右していると感じる。
材料にない感情をAIが自然な物語として補ってしまった経験もある。だからこそ、事実だけでなく「そのとき本当に何を感じていたか」を先に自分で残す意味がある。
時間はかかる。でも、プレイが消費されなくなった
録画を見返してノートを書き、そこから記事を作るので、1回のプレイにかかる時間はゲームだけで終えるより長い。効率だけを考えれば、もっと短い方法はあると思う。
それでも、この工程を挟むと、負けた遠征も「何も得られなかった回」になりにくい。予定した目標へ届かなかった理由も、偶然うまくいったことも、次のプレイで確かめる材料になる。記事を書くことが、プレイ後の整理と次回の準備を兼ねている。
この方法が完成形かは、まだ分からない。原文中心の薄い編集のほうが合う日もあるかもしれないし、記事を書く時間が重くなる可能性もある。当面は、録画、自分のフィールドノート、AIによる記事化、原文の保存という順番を続けてみるつもりだ。
AIにうまく書かせることより、AIへ渡す前に、自分が何を見て何を考えたのかを残す。その作業が少しずつ上手くなるほど、記事も自分の体験に近づいている。
NIGHTREIGNのソロ攻略、追跡者・初期大剣での試行錯誤は、まとめページからたどれる。



