睡眠時間を削るほど人生は進まない。8時間眠って気づいた「活動できる時間」の本当の意味

人生と仕事

最近、睡眠時間がかなり短くなっていた。

夜になると、昼間に進められなかったことを少しでも取り戻したくなる。仕事が終わって帰宅してから、連絡への返信や個人の作業を始める。気がつけば深夜になり、翌朝は十分に眠れないまま一日が始まる。

起きている時間が長ければ、その分だけ何かを進められるように思っていた。

しかし実際には、睡眠を削った翌日は頭が働かず、やりたいことへ手が伸びない。起きてはいるものの、何かを始めるほどの力が残っていない。

そんな日が続いたあと、アルバイトから帰宅して、ほとんど何もできないまま眠ってしまった。

帰宅後、そのまま眠ってしまった

その日は立ち仕事を終えて帰宅したあとも、疲労感が抜けなかった。

少し休めば動けるようになると思っていたが、身体はそのまま睡眠を選んだ。夜10時ごろに横になり、目を覚ましたのは深夜2時半だった。

約4時間半眠っていたことになる。

少しもったいないような気持ちもあった。夜の時間を使えば、仕事の連絡を返したり、自分の将来につながる作業を進めたりできたはずだからだ。

一方で、目を覚ましたときには、眠る前より頭がはっきりしていた。

その日全体の睡眠時間を合計すると、約8時間半になっていた。

最近の自分としては、かなり長い睡眠だった。

新しい薬で眠らされている感覚

ただ、今回の睡眠を単純に「よく眠れてよかった」とは言い切れなかった。

心療内科で新しく処方された安定剤を飲み始めてから、強い眠気を感じるようになっていたからだ。

症状を抑えるために処方してもらった薬だが、飲んだあとに何もできなくなるほど眠くなることがある。

眠れること自体は悪くない。

けれど、薬によって強制的に活動を止められているように感じると、素直に回復と捉えられない部分もある。

私は、歯ぎしりや食いしばりを抑えたいと思っている。そのための薬が必要である一方、服用後に仕事や生活が止まってしまえば困る。

治療の効果と、日常生活への影響。

その両方を見なければ、自分に合っているかどうかは判断できない。

薬だけが原因とは限らない

今回の眠気は、すべて薬の作用だったのだろうか。

振り返ってみると、直前の数日間には、睡眠時間が極端に短い日もあった。複数のアルバイトによる身体的な疲労に加え、夜間の作業で生活リズムも乱れていた。

もともと身体が睡眠を求めていたところへ、薬の眠気が重なった可能性もある。

薬が私を眠らせたのか。
身体が限界に近づいていたのか。
おそらく、その両方なのだと思う。

だから、一度強く眠くなっただけで、薬が合わないと決めることもできない。反対に、「疲れていただけだろう」と薬の影響を無視するのも危険だ。

必要なのは、感覚だけで判断せず、起きたことを記録することである。

薬を飲んだ時刻。
眠気を感じ始めた時刻。
実際に眠った時間。
起きたあとのだるさ。
仕事や生活への影響。

こうした記録があれば、次回の診察でも具体的に相談できる。

起きている時間と、使える時間は違う

今回よく眠ったあとに強く感じたのは、睡眠時間を減らしても、自由に使える時間が増えるとは限らないということだった。

睡眠を削れば、時計の上では起きている時間が増える。

しかし疲労が強ければ、その時間の多くは、ぼんやりしたり、何も始められずに過ごしたりする。

反対に、十分に眠ると、起きている時間は少し短くなるかもしれない。それでも頭が冴え、必要な連絡を返し、将来につながる作業を進める力が戻ってくる。

時間の長さだけを見るなら、睡眠は何も生み出していないように見える。

けれど実際には、翌日の集中力や判断力、活動する気持ちを作っている。

睡眠は活動していない時間ではなく、活動できる自分を作り直す時間なのだと思う。

必要な仕事を一つ終えたら十分な日もある

深夜に目を覚ましたあと、仕事上必要だった問い合わせへの返信を一件完了した。

以前の私なら、せっかく目が覚めたのだから、さらに何か進めようとしたかもしれない。

一つ終わったら、次の作業。
もう少しできるなら、あと一つ。
今日失った時間を取り戻したい。

そう考えているうちに、再び夜更かしをしてしまう。

しかしその日は、必要な返信を終えたところで、その日の仕事は十分だと考えることにした。

成果が一つしかないのではない。

疲労がある中で、本当に必要な一つを選び、完了できたのである。

体調が良くない日に、元気な日と同じ量を求める必要はない。

何を進めたかだけでなく、何を増やさずに終えられたかも大切なのだと思う。

幸福度を上げるのは、長い一日ではない

私は、将来のために進めたい仕事がある。

生活を少しずつ良くしたいし、自分の力で収入を作れる状態にも近づきたい。そのためには、毎日の時間を無駄にしたくないという気持ちがある。

ただ、その気持ちが強すぎると、睡眠まで削ってしまう。

長く起きていることが、人生を前へ進めることだと思ってしまう。

今回、8時間以上眠って感じたのは、幸福度を上げるのは一日の長さではなく、その日に使えるエネルギーなのかもしれないということだった。

頭が冴えている。
必要なことを判断できる。
小さくても作業を始められる。
何かを楽しむ余力がある。

そうした状態で過ごせる時間の方が、疲れ切ったまま長く起きている時間よりも価値がある。

睡眠を、未来への投資として考える

これまでは、将来につながる作業だけが未来への投資だと考えていた。

記事を書くこと。
サービスを整えること。
問い合わせへ丁寧に対応すること。
収入につながる仕組みを作ること。

けれど、その作業を行う自分が疲れ切っていれば、何も続かない。

そう考えると、睡眠もまた未来への投資なのだと思う。

十分に眠ることは、作業を休むことではない。翌日に作業できる自分を残すことである。

もちろん、薬による眠気については、今後も注意して見ていく必要がある。強い眠気が続き、仕事や生活へ支障が出るなら、医師へ相談しなければならない。

それでも今回の睡眠は、最近の私に足りていなかったものを教えてくれた。

起きている時間を最大化するのではなく、活動できる時間の質を上げること。

長い一日を作ろうとするのではなく、明日も動ける一日を終えること。

その方が、結果として人生は少しずつ前へ進んでいくのだと思う。

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