昨日はいつもより早めに眠り、朝7時に目が覚めた。
一般的に考えれば、7時起きはそれほど遅くない。休日なら、むしろ早起きした方に入るかもしれない。
けれど、その日は早朝にサーフィンをするつもりだった。
海へ行き、波を確認し、着替えて入水する。サーフィンを終えた後には、道具を片づけて次の予定へ向かわなければならない。
そう考えると、7時は「早い時間」ではあっても、サーフィンをするには遅かった。
7時起きでも、目的によっては間に合わない
時間というものは不思議だ。
同じ朝7時でも、何も予定のない日なら一日が長く感じる。家事や買い物をするだけなら、十分すぎるほど時間が残っている。
しかし、早朝の海へ入ることが目的になると、7時はすでに活動を始めていなければならない時間になる。
つまり、「早く起きられたかどうか」は時計だけでは決まらない。
その日に何をしたいのか。準備や移動にどのくらい時間がかかるのか。後ろにどんな予定が入っているのか。
そうした条件によって、同じ時刻の意味は変わる。
今回は7時に起きられた。それでもサーフィンには間に合わなかった。
だからといって、早起きに失敗したわけではない。ただ、サーフィンができる条件には届かなかっただけだった。
起きられなかったのではなく、身体が回復を選んだ
前日は一日を通して、いろいろな活動をしていた。
早めに眠ったものの、朝になっても疲労が残っていた。目は覚めても、すぐに起き上がって海へ向かえるような状態ではなかった。
「せっかく早く寝たのに、もっと早く起きられなかった」
そう考えると、自分の行動を失敗として評価したくなる。
けれど、実際には睡眠不足だったわけではなく、前日の活動量に対して回復が追いつかなかったのだと思う。
早く眠れば、必ず早く元気に起きられるわけではない。
身体が回復に必要とする時間は、就寝時刻だけでなく、その前にどれだけ動いたかによっても変わる。
予定では、早く眠って、早く起きて、海へ行くつもりだった。
身体は、その予定よりも回復を優先した。
計画どおりにはならなかったが、身体の反応としては不自然なことではなかった。
「できなかったこと」だけを見ると一日が狭くなる
サーフィンへ行けないと分かった瞬間、その朝全体が失敗したように感じることがある。
早起きした意味がなかった。良い波だったかもしれない。せっかくの機会を逃してしまった。
そう考え始めると、まだ朝なのに、一日がすでに終わったような気持ちになる。
けれど、サーフィンができないことと、海の状態を確認できないことは同じではない。
入水するには時間が足りなくても、波を見るだけならまだ間に合う可能性がある。
海へ入ることと、海を見ることを分けて考えれば、その朝にできることは残っていた。
波を確認すれば、その日の海の状態を知ることができる。予報と実際の波の違いも分かる。疲労がある状態で外へ出たとき、自分の身体がどう感じるかも確認できる。
それはサーフィンとは違うが、何も得られない朝ではない。
サーフィンは、時間だけあればできるものではない
サーフィンを続けていると、海へ行くためには多くの条件が必要だと分かる。
波がなければできない。波が大きすぎても難しい。風、潮、混雑、体力、睡眠、仕事の予定も関係する。
「行きたい」という気持ちだけでは成立しない。
だからこそ、できなかった日をすべて意思の弱さで説明すると苦しくなる。
必要な条件が一つ欠けただけでも、海へ入れない日はある。
今回欠けていたのは、波ではなく、時間と回復だった。
それは努力すればその場で取り戻せるものではない。
むしろ、自分の気持ちだけで押し切ろうとすれば、海の中で判断が遅れたり、その後の予定に影響したりする可能性がある。
海へ入らなかったことは消極的な選択ではなく、その日の条件を現実として受け取った結果だった。
「行けなかった朝」も、次の判断材料になる
今回の朝から分かったことがある。
前日に活動量が多い日は、早く眠るだけでは、早朝のサーフィンに必要な状態まで回復できないことがある。
そして、7時起きは日常生活では早くても、サーフィンをしてから別の予定へ向かう日には遅い。
この二つが分かれば、次回は「何時に寝るか」だけでなく、前日にどれほど動いているかも含めて判断できる。
サーフィンへ行けなかった事実は変わらない。
けれど、その朝を失敗として終わらせる必要はない。
海へ入れなかった理由を具体的に見つけられれば、それは次に同じ判断をするときの材料になる。
早く起きたのに、サーフィンはできなかった。
それでも、身体の状態と時間の現実を無視せずに判断できた。
そう考えると、その朝は何もできなかった朝ではなく、今の自分が海とどう付き合うかを、少し正確に理解できた朝だったのだと思う。