お金儲けが下手な自分に、げんなりする
自分は、お金儲けが下手だと思う。
長く仕事をしてきたし、会社を作ったこともある。自営業も続けてきた。新しいサービスを考えたり、Webサイトを作ったり、記事を書いたりもしている。
それなのに、思うようにお金が残らない。
何かを作ることはできても、それを安定した収入に変えるのがうまくない。
そんな現実を見るたびに、「どうして自分は、こんなにお金儲けが下手なのだろう」と、げんなりする。
理由の一つは、たぶん分かっている。
自分には、お金を儲けることへの執着が弱いのだ。
もちろん、お金は欲しい。生活費は必要だし、支払いへの不安も減らしたい。できることなら、身体を酷使する仕事を減らし、自分の仕事に使える時間を増やしたい。
それでも、「何が何でも稼ぎたい」とまでは思えない。
他の人は、なぜそこまでお金を求められるのだろう
世の中には、お金を稼ぐためなら、かなりの努力を続けられる人がいる。
長時間働く。積極的に営業する。人脈を広げる。自分を売り込む。売上を増やすために、商品やサービスを繰り返し改善する。
その姿を見ていると、素直にすごいと思う。
同時に、「なぜそこまでお金を儲けることに執着できるのだろう」と不思議にもなる。
おそらく、お金そのものが欲しい人ばかりではないのだろう。
安心が欲しい人もいる。家族を守りたい人もいる。社会から認められたい人もいれば、数字を増やすことをゲームのように楽しめる人もいる。
お金は、自由や安心、承認、勝利といったものの代わりになっているのかもしれない。
一方で、自分は、お金を自分の価値の証明として捉える感覚があまり強くない。
収入が多ければ立派で、少なければ価値がないとは思えない。
だから、お金だけを目標にして走り続けることが難しい。
お金を得るために失うものまで見えてしまう
自分がお金儲けに執着できないのは、単に欲がないからではない気もする。
お金を得るために失うものまで、同時に考えてしまうからだ。
たとえば収入を増やすために仕事を増やせば、自由な時間が減る。人と関わる仕事を増やせば、対人関係で消耗する。長時間働けば、身体が痛くなり、自分の制作に使う気力も残らない。
売上だけを見ればプラスでも、生活全体で見ると本当に得なのか分からない。
お金を稼いだ代わりに、
- 心身の余裕
- 自分で考える時間
- 好きなことへ向かう力
- 人との距離を自分で決める自由
を失ってしまったら、何のために働いているのだろうと思う。
過去には、仕事を頑張りすぎて動けなくなった経験もある。
だから、「頑張ればもっと稼げる」と言われても、頑張った先で幸せになれるとは簡単に信じられない。
お金があれば幸せになれる保証はない
たくさん稼げば、必ず幸せになれるわけではない。
高い収入があっても、仕事に追われ、人間関係に疲れ、自分の時間を持てなければ、幸福を感じられないこともあるだろう。
一方で、お金がなくても幸せに生きられる、ときれいに言い切ることもできない。
家賃や生活費が払えなければ不安になる。病院へ行くにもお金がかかる。借金や支払いがあれば、頭の片隅から不安が消えない。
お金がなければ、嫌な仕事を断ることも難しい。
つまり、お金は幸せを直接作るものではないけれど、不幸や不自由を減らす力はかなり大きい。
この二つを混同すると、「お金を追うべきか、幸せを選ぶべきか」という、極端な二択になってしまう。
でも本当は、お金と幸せは反対側にあるものではない。
問題は、どれだけ稼ぐかではなく、何を守るために、どのような方法で稼ぐかだと思う。
自分は「お金儲け」より「価値を作ること」が好きなのかもしれない
振り返ると、自分は何かを作ることには長い時間を使ってきた。
Webサイトを作る。文章を書く。仕組みを考える。サービスを改善する。複雑なことを整理して、使いやすい形にする。
そうした作業は比較的好きだ。
しかし、その価値をお金に変える最後の部分になると、急に動きが鈍くなる。
価格を決める。商品を絞る。申込みを促す。同じものを繰り返し売る。見込み客へ働きかける。
そうした工程に、強い魅力を感じにくい。
価値を作ることと、その価値を現金へ変えることは別の仕事なのだろう。
自分は前者には関心があるけれど、後者への関心が弱い。
だから、何も生み出していないわけではないのに、お金になる直前で流れが細くなってしまう。
それをすべて「商売の才能がない」で片づけると、自分が本当に苦手な部分も、これまで作ってきた価値も見えなくなる。
必要なのは、お金への執着ではなく「必要十分」の定義
自分には、お金持ちになることを人生の目標にはできないと思う。
無理にお金への執着を強くしようとしても、たぶん長くは続かない。
ただ、お金を軽視してよいわけでもない。
必要なのは、際限なく稼ぐことではなく、自分にとって必要十分な金額を明確にすることなのだと思う。
たとえば、
- 支払いへの不安を減らせる金額
- 身体的にきつい仕事を月に数回減らせる金額
- 自分の制作時間を確保できる金額
- 好きな場所へ行くために必要な金額
このように考えれば、お金は単なる数字ではなくなる。
「もっと稼がなければ」ではなく、「この金額があれば、嫌な仕事を一日減らせる」という具体的な自由へ変わる。
自分が欲しいのは、大金そのものではない。
嫌なことを断っても生活が崩れず、自分で時間の使い方を決められる状態なのだと思う。
幸せを壊さない方法で、お金を得たい
無理をしてお金を儲けても、幸せになれるとは限らない。
でも、お金が足りなければ、選択肢を失い、望まない働き方を続けることになる。
だから、自分に必要なのは「お金か幸せか」を選ぶことではない。
幸せを壊さない方法で、必要な収入を作ること。
簡単ではない。
強く売り込まず、心身を削らず、人間関係に縛られず、それでも収入が発生する仕組みを作るには時間がかかる。
それでも、その難しい道を選ぼうとすることまで、「お金儲けが下手」と否定しなくてもよいのかもしれない。
自分は、お金への執着が弱いのではなく、お金以外に失いたくないものが多い。
それなら、目指すべきなのは最大収入ではない。
自分を売り渡さずに生きていける、必要十分な収入だ。
その金額と稼ぎ方を具体的に設計できたとき、お金は幸せを脅かすものではなく、幸せを守るための道具になるのだと思う。