条件だけを見れば、今のアルバイトはそれほど悪くありません。
時給は比較的高く、仕事そのものの負担も重すぎない。体力を削られすぎるわけでもなく、業務内容にも大きな不満はありません。生活のための収入源として考えれば、むしろ続ける理由のある仕事です。
それなのに、勤務を終えて家に戻ると、どっと気持ちが重くなる日があります。
原因は仕事そのものではなく、職場にいる一人の態度です。
挨拶をしても無視するのに、自分への挨拶がないと怒る
その人に挨拶をしても、返事がないことがあります。
聞こえなかったのかと思える程度なら、ここまで気にはなりません。けれど、普段からこちらの挨拶は受け流すのに、自分に挨拶がないと機嫌を悪くしたり、相手を注意したりする。
そんな姿を見ると、どうしても腹が立ちます。
挨拶は本来、立場の上下を確認するためのものではありません。働く者同士が、同じ場所で仕事を始めるための最低限の意思表示だと思います。
ところが、自分は返さなくてもよく、相手は自分に必ず挨拶すべきだという態度になると、それは礼儀ではなくなります。相手にだけ従わせるためのルールに見えてしまいます。
「挨拶は大切だ」と言いながら、自分は挨拶を返さない。
その矛盾に無自覚なまま、偉そうに振る舞っている姿が、ひどく不快なのです。
嫌なのは無視そのものより、不公平さなのかもしれない
挨拶を一度無視されたことだけで、これほど気持ちが削られるわけではありません。
私が強く反応しているのは、その奥にある不公平さなのだと思います。
自分が守らないルールを、他人には要求する。立場が上なら、自分の態度は問われない。相手が不快になるかどうかより、自分が気持ちよく扱われることを優先する。
そうした態度には、「相手にも感情がある」という視点が欠けています。
気持ちよく挨拶してもらいたいのであれば、まず自分が挨拶を返せばいい。人から敬意を向けてもらいたいのであれば、自分も相手を一人の人間として扱えばいい。
とても単純なことです。
それをせずに、肩書きや立場だけで礼儀を要求する人を見ると、「なぜ自分が気持ちよく挨拶してもらえないのか、本当に分からないのだろうか」と思います。
条件のよい仕事でも、人間関係で価値は削られる
職場への不満を語ると、「嫌なら辞めればいい」と簡単に言われることがあります。
けれど、現実の仕事はそれほど単純ではありません。
仕事内容、時給、勤務時間、体力的な負担、通勤距離、人間関係。働きやすさは、複数の条件の組み合わせで決まります。
今回の仕事も、仕事自体が嫌なわけではありません。むしろ条件面には納得しています。問題は、特定の人の態度によって、その価値が少しずつ削られていることです。
一人の感じの悪い人のために、条件のよい仕事を手放すのも悔しい。けれど、その人の態度を毎回まともに受け止めて、こちらが消耗し続けるのも違う。
だから必要なのは、「好きか嫌いか」「続けるか辞めるか」という二択ではなく、仕事の条件と人間関係の負担を分けて考えることなのだと思います。
相手のためではなく、自分の仕事を守るために挨拶する
相手が挨拶を返さないなら、こちらも挨拶をしたくなくなるのは自然な感情です。
それでも今のところ、私は挨拶そのものは続けるのだと思います。
ただし、その人に好かれるためでも、気持ちよくなってもらうためでもありません。
自分が職場で余計な問題を抱えず、条件のよい収入源を維持するためです。
挨拶を一度する。返事がなくても追いかけない。愛想まで差し出さない。相手の機嫌を整える責任も背負わない。
そこまでを自分の仕事として、それ以上は相手の問題として切り分ける。
これは相手に屈することではなく、相手の性格の悪さに、自分の働き方まで支配させないための線引きです。
礼儀は、立場の弱い人だけが守るものではない
職場では、立場が下の人ほど礼儀を求められます。
けれど、本来は立場が上の人ほど、自分の態度が周囲に与える影響を自覚する必要があるはずです。
挨拶を返す。それだけで職場の空気が少し柔らかくなることもあります。逆に、無視を繰り返すだけで、仕事自体には問題がなくても、その場所へ行くことが嫌になる人もいます。
礼儀とは、偉い人が下の人に要求するものではありません。
同じ場所で働く人同士が、お互いの存在を雑に扱わないためのものです。
今日感じた怒りは、私が礼儀に細かすぎるからではなく、一方的なルールで人を扱う態度への違和感だったのだと思います。
仕事の条件がよいことと、その人の態度が不快であることは、どちらも事実です。
片方を否定して、無理に結論を出す必要はありません。
今はただ、仕事の価値と、その人から受ける消耗を混ぜずに見ておきたいと思います。