体力を使う仕事をした日は、帰宅してから何もできないことがあります。
本当はブログを書きたい。将来につながる作業を進めたい。読みかけの本もあるし、ゲームもしたい。けれど、身体が重くて椅子に座ることすらつらい。
横になって少し休んだつもりが、そのまま眠ってしまう。目を覚ますと夜中になっていて、風呂や食事、翌日の準備が残っている。
そんな日が続くと、「仕事以外の人生はどこへ行ったのだろう」と思うことがあります。
仕事が終わっても、自由時間が始まるわけではない
勤務時間が終われば、その後は自由時間だと考えられがちです。
しかし、立ち仕事や重量物を扱う仕事では、退勤した瞬間に身体が回復するわけではありません。
帰宅後に横になる時間、足腰の痛みが落ち着くのを待つ時間、翌朝まで続く疲労。これらも含めて考えると、実際には仕事が生活のかなり大きな部分を占めています。
たとえば夕方に仕事が終わっても、帰宅後に数時間寝なければ動けないなら、その時間は自由に使える時間ではありません。
翌日の午前中まで疲れが残るなら、ひとつの勤務が翌日にも食い込んでいることになります。
私は以前、仕事から帰った後にも作業できるつもりで予定を立てていました。
けれど実際には何もできず、「今日も進められなかった」と自分を責めることが増えていました。
今は、体力を大きく使う日は、回復時間まで含めて仕事の日だと考えるようにしています。
ゲームはできるのに、仕事や勉強はできない理由
疲れているのに、ゲームならできることがあります。
そのため、「ゲームをする元気があるなら、作業もできたはずだ」と考えてしまうことがあります。
しかし、ゲームと文章を書く作業では、必要な力が違います。
ゲームには、次に何をすればよいかが比較的はっきりしています。敵を倒す、アイテムを集める、先へ進む。操作をすれば、すぐに結果が返ってきます。
一方で、ブログ記事を書くには、テーマを決め、情報を整理し、読者の気持ちを想像し、文章を選ばなければなりません。
身体が疲れている時には、この判断の連続がとても重く感じられます。
ゲームができたからといって、創作や仕事もできたとは限りません。
疲れた状態で自分が選んだ行動を、すぐに怠けと判断しないことも大切なのだと思います。
前日の夜まで仕事に差し出したくない
翌朝に体力を使う仕事があると、前日の夜から気持ちが重くなることがあります。
早く寝なければならない。体力を温存しなければならない。好きなことを始めても、中途半端なところでやめなければならない。
そうしていると、実際に働いている時間だけでなく、前日の夜まで仕事に奪われたような気持ちになります。
私はときどき、睡眠時間を削ってでも、自分のやりたいことを進めたくなります。
ゲームをしたり、ブログ記事を書いたり、気になっていた雑務を片付けたりする。翌日つらくなると分かっていても、思い切り自分の時間を過ごした日は、満足感があります。
それは単なる夜更かしではなく、「自分の人生を仕事だけで終わらせたくない」という抵抗なのかもしれません。
仕事のために寝て、起きて働き、帰って回復する。それだけで一週間が過ぎていく生活では、自分が生きている実感を失いやすくなります。
だからこそ、少し無理をしてでも、自分が選んだ時間を確保したくなるのです。
満足感と安全は別々に考える
ただし、睡眠時間を削ることには現実的な危険があります。
とくに重量物を扱う仕事、階段を使う仕事、車両の近くで行う仕事では、判断の遅れが怪我につながります。
厄介なのは、睡眠不足による集中力の低下を、自分自身では正確に把握できない場合があることです。
本人は「意外と動ける」と感じていても、反応が遅くなっていたり、一瞬意識が途切れたりする可能性があります。
好きなことを十分にできた満足感と、安全に働ける身体状態は同じではありません。
この二つを混ぜて考えないことが必要です。
「気分がいいから大丈夫」ではなく、眠気、ふらつき、判断ミス、記憶の抜けなどがないかを別に確認する。
短時間でも仮眠を取る。移動中に危険を感じたら無理をしない。作業中も普段より慎重に動く。
自由時間を守ることと、身体を守ることの両方が必要です。
人生の満足度は、作業量だけでは決まらない
疲れて何もできなかった日を、失敗した日だと思う必要はありません。
一日働いたのであれば、それだけで身体は十分な仕事をしています。
回復するために横になった時間も、無駄ではありません。ゲームで気分を切り替えた時間にも意味があります。
そして、少し回復した後に記事を一本書けたなら、それは「一本しかできなかった」のではなく、厳しい条件の中で一本進められたということです。
私たちは、できなかったことばかり数えがちです。
しかし人生の満足度は、作業量だけで決まるものではありません。
働いたこと。身体を休ませたこと。好きなことをしたこと。将来につながる作業を少し進めたこと。
そのすべてを一日の成果として見てもよいのだと思います。
仕事に生活の大部分を使わざるを得ない時期であっても、自分の時間を完全に諦める必要はありません。
ただし、無理を美化せず、安全を守りながら続けること。
その小さな調整の積み重ねが、働くだけで終わらない人生につながっていくのだと思います。