厨房の締めは、その日は早く終わった。
自分の持ち場が片付いたなら、そこから先は帰りの時間のはずだった。ならなかった。ホールの締めを手伝って、結局22時45分まで店にいた。厨房が終わった時刻と、店を出る時刻は、はっきりずれている。
翌日は、引っ越しのアルバイトだった。だから水曜日は、できれば早く帰りたかった。朝が早い日の前に、夜を短くしておきたい、というだけの話だ。その希望は、ホールの締めが終わるまで保留になった。
助けの向きが、片側だけに見える

手伝いながら、いつもの疑問がまた出てきた。
ホールが先に終わったとき、ホールの人が厨房へ入って手伝ってくれるわけではない。少なくとも、自分が店にいるあいだに見てきた感じでは、そうだ。なのに、厨房が先に空くと、ホールの締めのほうへ人が吸われていく。なんで厨房だけが、ホールを手伝わなきゃいけないんだろう、とその場で思った。
公平の話として言うと、まだ粗い。誰かに残れと言われた記憶はない。自分から断った記憶もない。手伝った。手伝ったあとに、この向きはおかしいんじゃないか、が残った。おかしいと思いながら、22時45分まで手は動いていた。思った時刻と、帰った時刻は一致していない。
この疑問は、今日が初めてでもない。ホールの締めを手伝うたびに、思う。いつも思う、と言っている時点で、同じ景色を何度か見ている。見ているのに、今日も最後までいた。慣れて疑問が消えた、という感じではない。疑問が残ったまま、体が締めのほうへ入っていく。今日は、その繰り返しの上に、早く帰りたい日だったことが乗った。
以前、回転寿司の厨房は、営業中に助けが入りにくいと書いていた。ポジションが分かれていて、注文は自分の場所に残る。ホールのほうが、負荷を動かせる、とも書いた。今日の締めは、その絵の逆に見えた。空いた厨房が、ホールの残りを引き受けている。営業中の話と、閉めの話は、同じ店でも別だった。
やったほうがいい仕事と、利益は別だった

もう一つ、手伝うたびに思うことがある。ホールの締めには、無駄な作業が多い。
作業がゼロ、という意味ではない。やらないよりはやったほうがいい、という顔はしている。閉まるまでの時間、手は動く。動いていること自体は、サボっている感じがしない。でも、その作業が店の利益を生んでいる感じは、あまりしない。生んでいるのかどうかも、怪しい。
理解できる線は、自分の中でははっきりしている。その作業をすることで利益が生まれるなら、遅くまで残る理由は分かる。分からないのは、大して生んでいない仕事、あるいは生んでいるか怪しい仕事に、深夜の時給が付く人件費を乗せていることだ。高い時間に、人数をかけて、効いているのか怪しいことを続けている。帰宅してから思い返すと、無駄すぎる、で止まっていた。
この「無駄」は、その場の感覚だ。売上の数字は見ていない。どの作業が利益に効いているかも、店の人に聞いていない。聞かないまま、怪しい、と言っている。感覚が外れている可能性は、残している。
別の日には、早く終わった人が先に帰って、残った作業が自分のほうへ流れてきたこともあった。あのときは、誰がやるか、の偏りが引っかかっていた。今日引っかかっているのは、誰がやるかだけではない。やっている中身が、店の売上にどこまで効いているのか、のほうだ。人の偏りと、作業の中身は、似て見えて、今日は別の不満だった。
早く帰りたかった日に、帰りが遅かった

早く帰れる夜が、翌日の朝をどれだけ楽にするかも、前に一度見ている。労働時間が同じでも、帰宅が早いかどうかで、家事と眠りの余白は変わる。引っ越しのバイトの前の夜は、とくにそうだった。今日の水曜日は、その余白が欲しい日だった。22時45分は、欲しかった時刻ではなかった。
この夜、次にどうするかは決めていない。
次も手伝うのか。手伝わないと言ったとき、店は普通に閉まるのか。ホールの締めのどれが本当に必要で、どれが「やらないよりマシ」なのか。必要かどうかの線を、誰と話すのかも、まだない。おかしいと思ったことと、また手伝うことは、今のところ両立したままだ。
分かっているのは、厨房が先に終わっても、自分の退勤時刻は厨房では決まらなかった、というところまでだ。早く帰りたい日に、それが一番わかりやすかった。
水曜日を短くしたかった理由は、翌日の引っ越しだった。短くならなかった理由は、ホールの締めだった。22時45分は、深夜の時給が付く側の時刻でもあった。残った理由の重さが、そこで少し変わって見えた。二つの理由は、同じ夜に並んだまま、まだ一つにまとまっていない。


