負荷は普通なのにイラッとした|引っ越しでサボる同僚と狭い車内が残った日

労働と現実

引っ越しのアルバイトから戻って、モンスターを飲んだ。

今日の負荷は普通だった、と自分では書いた。腰が残ったとも、腕が張ったとも、書いていない。それなのに、イラッとしたまま帰ってきていた。

普通に動けた日なのに、気分だけが荒れている。負荷と気分が、ずれていた。

数日前にも、負荷が低めの引っ越しで、一緒に働いた人の動きが気になって、夜まで変な疲れ方が残った日がある。あの日は、寝たかったのに眠れなかった。理由は、人から来た負荷なのか、ここ数ヶ月の反動なのか、一つにできていなかった。

今日は、そこまで書いていない。眠れない、とはない。反動、ともない。負荷の言葉も「低め」ではなく「普通」だ。残った文は、もっと短かった。

だらだらと、ちょこちょこ

玄関先に段ボールと毛布。作業着の人が立ち止まっていて、奥では別の人が箱を運んでいる。

イラッの一つ目は、一緒に働いた人の仕事の仕方だった。

だらだら仕事をしている。ちょこちょこサボる。一度だけ大きく手を抜いた、という書き方ではない。小さい抜けが、そのたびに続く。続くたびに、イラッとした。

「1年もやっているのに」とは書いていない。経験の長さと動きが噛み合わない、という見立ても、今日は出てきていない。今日の言葉は、サボる、だった。

注意したのか、言わなかったのかも、メモには残っていない。言えば変わったのかも、この時点では分からない。残っているのは、見ているあいだイラッとしていた、という事実だけだ。

サボる人への引っかかりは、別の職場でもあった。締めの清掃で、できる人が動かず、できない人のほうへ話を向けていた日だ。あのときは、自分は直接注意しなかった、とあとから書いている。他人の働き方を変える責任まで背負わなくていい、というところまで、文章は進んでいた。

今日は、まだそこまで行っていない。注意しなかった、と決めて書いたわけでもない。ただイラッとして、仕事が終わった。帰ってからも、イラッは残っていた。

「あと」で繋がっていた体の話

誰も座っていないトラックの前席。シートベルトとシフトレバーのあいだが狭い。

そのあとに、もう一つ書いていた。

純粋に太っている。だから車内が狭い。だから嫌だった。

「あと」で繋いである。サボりの話が先で、体の話が後だ。あと、は付け足しにも読める。隠さなかった本音にも読める。書いたときには、どちらの意味かは説明していない。

読み返すと、二つは同じイラッには見えなかった。

サボりは、その日の動きの話だ。同じ現場で仕事をしている以上、「なんで動かないんだ」は、仕事の言葉として出てくる。

体の大きさは、そうはならない。狭い、は身体の感覚として本当だと思っている。嫌だった、も、取り繕っていない。ただ、狭さの理由を相手の体へ置いた瞬間、仕事の不満とは別のものが混ざる。混ざったものを、自分は一行のままにした。

この時点では、分けた方がいいとも、この一行のままでいいとも、決めていない。きれいな言い換えは、出ていない。

狭いことは、今日の発見ではなかった

トラックの座席に、リュックとショルダーバッグが重なって置かれている。

トラックの中が狭いこと自体は、前から知っている。

仕事の荷物を車内へ持ち込むとき、2tトラックの座席は、大人と荷物だけで、すでに余裕が薄い、と書いている。今日乗っていた車が同じ型だったかは、このメモにはない。あるのは、狭くて嫌だった、という体感だけだ。

あのときの狭さは、自分の荷物の話だった。バッグなら、次は小さいものにできる。潰れる素材に替えることもできる。自分の側で、次の手がある。

人の体は、バッグではない。狭いから嫌だ、をそのまま相手へ返す言葉は、今日の自分は持っていない。持っていない、とメモに書いたわけでもない。その場の一文は、嫌だった、で止まっている。返す言葉が無いことに気づいたのは、あとに読み返してからだ。

仮眠のあと、気持ちは書き直していない

夕方の和室。作業着のまま布団に横になり、そばに閉じたノートと緑の缶がある。

その気持ちを書いたのは、戻ったあとだった。そのあと、19時から22時半まで横になっている。起きたあとに残したのは、仮眠、という名前だけだった。

仮眠のあとに、先のイラッを書き直した行はない。公平だったのか。自分に余裕がなかっただけなのか。車内の窮屈さと、人への嫌さは、どこで分かれるのか。どれも、起きたあとには足していない。

数日前は、眠れない夜のまま、理由が二つ残った。今日は眠れている。眠れたから、気持ちの整理まで進んだ、にはなっていない。仮眠の行は、睡眠の名前だけだ。

並んだまま、まだ一つになっていない

夜の机に閉じたノート、車の鍵、緑の缶。窓の外にトラックが止まっている。

今、分かっているのはここまでだ。

負荷は普通だった。モンスターを飲んだ。だらだらサボられてイラッとした。純粋に、車内が狭くて嫌だった。その二つを、同じ日の気持ちとして持ったまま横になり、起きたあとにも文章は増えていない。

次に、またああいう車内になったとき、サボりについては何か言うかもしれない。言わないまま終わるかもしれない。体の話を、仕事の文句として口に出すかどうかは、もっと分からない。口に出した瞬間、今日感じていた窮屈さとは別の問題になる気がしている。その気は、まだ判断ではない。

引っ越しの負荷や、人と組んだあとに残るものについては、ほかの日の記事もこちらに置いている。

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「しゃとん’s EYE」を書いています。Web制作の仕事をしながら、生活の途中で感じたことと、ELDEN RING NIGHTREIGNのソロ攻略を記録しています。海と、深夜に考えごとをする時間が好きです。

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