午前3時を少し回ったころ、ふいに「まだだ、まだ終わらんよ!」という言葉が口から出た。
その前には、「やりました……。やったんですよ!必死に!」とも思っていた。
やり切った気持ちと、まだ何も終わっていない感覚が、同時にあったのだと思う。
目の前のことには、確かに手を尽くした。けれど人生全体を見渡すと、成功したと言えるものがほとんど見つからない。
その明け方は、自分を励ますために過去をきれいに言い換える気にはなれなかった。
「学びになったから失敗ではない」とは言えなかった

よく、「失敗から学べたなら、それは失敗ではない」と言う。
自分も、その考え方に救われたことはある。失敗をすべて無駄だったと考えたら、前へ進めなくなるからだ。
けれど、この日は違った。
仕事も、始めたことも、選んだ道も、結果だけを見れば失敗だった。行きがかりの中で、いま振り返れば詐欺まがいだったと言わざるを得ないことまである。
そこに至った事情を説明することはできる。でも、事情があることと、結果に責任がないことは同じではない。
学びを得たから帳消しになった、ということにはしたくなかった。失敗は失敗として残したうえで、次を考えたかった。
ただし、失敗を認めることと、「自分という人間そのものが失敗だ」と決めることも同じではない。
以前、思い通りにならなかった人生と、人生そのものの失敗は分けて考えたいと書いた。今もその考えは変わっていない。今回はそこから一歩戻り、個々の失敗を失敗のまま見る話なのだと思う。
人生のファームが滅茶苦茶になっていた

ゲームでは、強い敵と戦う前に経験値や装備、資金を集めることを「ファーム」と呼ぶ。
人生もゲームのようなものだと考えるなら、自分のファームはかなり滅茶苦茶だ。
育てるものを途中で変えた。積み上げたと思ったものが止まり、別の場所を一から整え直すこともあった。時間も体力も使ったのに、次の戦いに必要なものが十分そろっていない。
だから、ボロボロだと感じた。
それでも、ファームがうまくいかなかったことと、ゲームオーバーになったことは別だ。
「経験値が残っているから成功だった」という美談にしたいわけではない。結果は出なかった。その事実は消えない。
ただ、今の自分には、次のルートを選び直すための判断材料がある。何を繰り返してはいけないかも、以前よりは分かっている。
ゲームの攻略法を人生に重ね、自分に合うルートを選ぶことについては以前にも書いた。あのときは「自分らしい攻略法」が主題だった。今回は、そのルート選び自体を間違えてきたかもしれない場所からの再出発になる。
必死にやったことと、失敗したことは両立する

「やりました……。やったんですよ!必死に!」
あの言葉は、成功を主張したかったわけではない。
少なくとも自分の中では、必死にやった事実まで消したくなかったのだと思う。
努力したから成功とは限らない。世の中は、費やした時間や苦労だけで結果を決めてくれるわけではない。
けれど、結果が失敗だったからといって、必死だった自分まで嘘になるわけでもない。
必死にやった。結果は失敗だった。
この二つを、どちらも消さずに同じ場所へ置いておきたい。
努力だけを見れば言い訳になる。結果だけを見れば、自分を必要以上に壊してしまう。その間に立って、次は何を変えるのかを考えるしかない。
「まだ終わらない」と言える根拠

人生を一気に立て直す計画が見つかったわけではない。
何をもって成功と呼ぶのかも、まだ曖昧だ。また判断を間違えるかもしれないし、次も思ったような結果にはならないかもしれない。
それでも、その明け方には二つの事実があった。
気力がある。体力もある。
一度動けなくなった経験があるからこそ、この二つが残っていることを軽く考えたくない。立て直したいという気持ちがあり、まだ実際に動けるのなら、道が完全に閉じたとは言えない。
以前、「一度も崩れない人」ではなく、「崩れても戻ってこられる人」でありたいと書いた。
今日は、その言葉をきれいな考え方としてではなく、実際の自分で試すときなのだと思う。
何から直すべきかは、まだ分からない。生活も仕事も身体も、全部がつながっている。だからこそ、全部を一度に直そうとすれば、また同じように壊れる気もする。
まずは、明日まで壊さずに残したいものを一つ決める。荒れた畑の一列だけを整えるように、手の届く場所から戻していく。
過去を、成功だったことにはしない。取り返せない失敗も、個人の成長物語だけでは済ませられないこともある。
それでも、人生の結果表はまだ最後まで書かれていない。
「まだだ、まだ終わらんよ」は、勝利の宣言ではない。自分がまだ途中にいることを確認する言葉なのかもしれない。
気力もある。体力もある。まだいける。
ここから、立て直す。


