身体を使う仕事をした翌日、思っていた以上に疲れが残っていた。
目が覚めても身体が重い。少し動くだけで足や腕に痛みを感じる。眠ったはずなのに、まだ眠い。何かを始めようとしても、気持ちがついてこない。
そんな日は、「せっかくの休みなのに何もできない」と焦ってしまう。
やりたいことはたくさんある。家のこともあるし、先延ばしにしている用事もある。自分のために進めたいこともある。
頭では分かっているのに、身体が動かない。
以前の私は、こういう日を「無駄にした一日」だと考えていた。
けれど最近は、少し違う見方ができるようになってきた。
眠っても疲れが取れない日はある
その日は、夜にまとまって眠ったあとも疲れが残り、昼にも何度か横になった。
合計すると、かなり長い時間を眠っていた。
それでも、すっきり回復したとは言えなかった。
長く眠れば必ず元気になるわけではない。身体に強い負荷がかかったあとは、睡眠時間だけでは測れない回復が必要なのだと思う。
筋肉の痛みが引くまでには時間がかかる。神経が張り詰めた状態から戻るのにも時間がかかる。身体を動かしていないつもりでも、内側では回復のために多くのエネルギーが使われている。
外から見ると、ただ寝ているだけに見えるかもしれない。
けれど身体にとっては、休息そのものが仕事なのだ。
動けない自分を責めると、さらに疲れてしまう
疲れている日に苦しいのは、身体の重さだけではない。
「今日は何もできていない」
「もっと頑張らないといけない」
「こんなに眠っていて大丈夫なのか」
そうやって、自分を責める気持ちが重なる。
身体は休みたがっているのに、頭の中では前へ進めと命令し続ける。その間に挟まれると、休んでいるのに少しも休んだ気がしない。
過去に無理を重ね、心身の調子を崩した経験がある。それでも、気づけば同じように「まだ動けるはずだ」と考えてしまう。
頑張ることが習慣になっている人ほど、休むことに罪悪感を持ちやすい。
けれど、本当に怖いのは一日休むことではない。
身体の警告を無視し続けて、何週間も、何か月も動けなくなることだ。
入浴や身支度にも、体調が表れる
疲労が強いときは、普段なら簡単にできることも難しくなる。
お風呂に入る。食事を整える。洗濯をする。部屋を片づける。
どれも特別な作業ではない。それでも、身体が限界に近いと、最初の一歩がとても重く感じる。
「お風呂に入れていない」という事実だけを見ると、自分をだらしなく感じてしまうこともある。
しかし、これは性格の問題ではなく、今の体力を知る目安なのかもしれない。
自分にとって当たり前だった生活動作ができなくなってきたら、かなり疲れている。
そう考えれば、無理に自分を責めるのではなく、予定を減らしたり、横になる時間を増やしたりする判断がしやすくなる。
体調は、痛みや熱だけで表れるわけではない。
生活の小さな乱れも、身体から届く知らせなのだと思う。
海に足をつけるだけで、少し戻ってこられた
その日は、少し身体が動くようになってから海へ行った。
波はなく、サーフィンができる状況ではなかった。
以前なら「波がないなら行く意味がない」と思ったかもしれない。けれど、実際に海辺へ行き、冷たい水に足をつけてみると、それだけで気分が変わった。
水の冷たさ。潮の匂い。視界を遮るもののない空。
何かを達成したわけではない。それでも、自分の感覚が少しずつ戻ってくるようだった。
海は、サーフィンをするためだけの場所ではない。
波がある日は海に入る。波がない日は散歩をする。釣りをしている人を眺める。疲れている日は、足だけ水につけて帰る。
同じ場所でも、体調に合わせて違う関わり方ができる。
「できるか、できないか」の二択ではなく、その日の自分に合う距離を選べばいいのだと思った。
休んだ日にも、生活は少しずつ進んでいる
長く眠り、何度も横になった日でも、振り返ると少しずつ生活は進んでいた。
洗濯ができた。必要な買い物ができた。部屋の用事を一つ終わらせた。
一日を通して元気に動けたわけではない。それでも、休養の合間にできることを少しずつ片づけられた。
以前なら、できなかったことばかり数えていたと思う。
けれど今は、横になった時間も含めて、その日の生活だったと考えたい。
休みながら一つ進める。
また疲れたら横になる。
少し戻ったら、もう一つだけやる。
それでも十分なのだ。
休むことは、次の日の自分を守ること
年齢を重ねると、以前と同じ働き方では回復が追いつかないことがある。
それは弱くなったというより、身体の声が分かるようになったということかもしれない。
無理をすれば動ける日もある。
けれど、無理をした分はどこかで必ず支払うことになる。
だから、疲れている日に休むことは逃げではない。
次の日も生活を続けるために、今の自分を守る行動だ。
一日を有意義に過ごすとは、予定をすべて終えることではない。
身体を壊さずに、その日を終えること。
少しでも心地よい時間を持つこと。
明日の自分へ、わずかでも体力を残すこと。
それもまた、十分に意味のある一日なのだと思う。