解約すれば楽になるのに、なぜか決められなかった
長く続けてきたオンラインの語学レッスンを、解約するかどうかで迷っていた。
月額料金は7,000円ほど。最近は収入が減ることも決まり、固定費を少しでも下げたい状況だった。
レッスンを受ける前には面倒に感じることが増え、関連するブログの更新も長い間止まっていた。教材をいつでも見られることに価値を感じて契約を残していたものの、実際にはほとんど開いていない。
数字だけを見れば、解約してもおかしくない。
それなのに、どうしても踏み切れなかった。
理由を考えていくと、その契約は単なる語学サービスではなく、自分にとって大切な国とのつながりを表すものになっていた。
解約すると、サービスを一つやめるだけではなく、自分からその国との関係を断ってしまうように感じていたのだ。
お金を払うことが、つながりの証明になっていた
以前、私はその国の料理を扱う仕事をしていた。
店はすでに閉じているが、今も旅行情報を発信するWebサイトを運営し、将来は現地に長く滞在したいと考えている。
語学レッスンを続けていることは、
「今も関心を失っていない」
「いつか現地で暮らしたい」
「自分の人生から、この国はまだ消えていない」
ということの証明になっていた。
だから解約への抵抗は、月額料金の問題だけではなかった。
契約をやめた瞬間、過去に積み重ねてきた時間や、将来の夢まで一緒に終わってしまうような感覚があった。
頭では、そんなことはないと分かっている。
契約をやめても、経験は消えない。書いてきた記事も残る。現地へ行きたい気持ちも、将来暮らしたいという夢もなくならない。
それでも感情は、契約とつながりを同じものとして扱っていた。
実際に受講すると楽しいから、さらに迷う
解約を前提に、あらためてレッスンを受けてみた。
すると、意外にも楽しかった。
始まる前には面倒に感じていたのに、実際に先生と話し、新しい表現を学ぶ時間には、知的な楽しさがあった。
「楽しいなら、続けてもいいのではないか」
そう思い、判断はさらに難しくなった。
ただ、ここで気づいたのは、価値があることと、今の生活で優先すべきことは同じではないということだった。
楽しいサービスでも、家計の状況によっては一度手放すことがある。
価値のないものだけを解約するわけではない。
今の自分が、限られたお金と時間をどこへ向けたいか。その選択として、価値のあるものをやめることもある。
月額料金を年間で考えてみた
月額7,000円ほどの支払いは、毎月だけ見れば何とか払える金額だった。
しかし年間では、8万円を超える。
その金額を見たとき、別の可能性が浮かんだ。
このお金を毎月積み立てれば、年に一度、実際にその国へ行くための航空券代に近づくのではないか。
現地の滞在費は比較的抑えやすい。計画的に積み立てれば、毎年一週間ほど滞在することも、まったく非現実的ではない。
オンラインレッスンを続けることでつながりを感じるより、実際に現地へ行き、人と会い、街を歩き、言葉を使う方が、自分にとっては強いつながりになるかもしれない。
そう考えたとき、解約は「関係を断つこと」ではなくなった。
つながりを維持する方法を、月額契約から実際の渡航へ変える。
そう捉えられるようになった。
現地へ行けば、言葉を学ぶ理由も具体的になる
将来、現地で長く暮らしたいという夢がある。
英語だけでも生活はできるかもしれない。
それでも現地の言葉が分かれば、人との距離は変わる。観光客としてではなく、生活者として関係を築きやすくなる。
ただ、机の上で将来の生活を想像しながら学び続けることは、思っている以上に難しい。
現地へ行き、
「この言葉を伝えたかった」
「相手の話をもっと理解したかった」
という経験をすれば、学ぶ理由は急に具体的になる。
そのときに生まれる「もっと覚えたい」という気持ちは、月額料金の元を取ろうとする義務感より、ずっと強いはずだ。
語学学習をやめるのではない。
まず現地へ行ける状態を作り、その体験から学習意欲を育て直す。その順番でもよいのだと思った。
手放すのは夢ではなく、一つの手段
長く迷っていたのは、契約を解約することと、夢を諦めることを混同していたからだ。
けれど、夢へ向かう方法は一つではない。
オンラインで学び続ける方法もある。
自分で少しずつ勉強する方法もある。
現地へ行って、必要な言葉から覚える方法もある。
今の自分には、毎月お金を払いながら「学ばなければ」と思うより、そのお金を渡航資金として積み立てる方が、未来へ近づいている実感を持てそうだった。
大切なものとのつながりは、契約を続けているかどうかだけでは決まらない。
どこへ時間を使い、どこへ行こうとしているか。
その行動の中にも、つながりは残る。
今回手放そうとしているのは、大切な国への気持ちでも、現地で暮らしたいという夢でもない。
今の自分に合わなくなった、一つのつながり方である。
そう考えられたことで、解約は終わりではなく、次の一歩に見えるようになった。