ナイトレインを封印すると決めて、アンインストールした。
その日のうちに、またインストールして再開した。
「どうなのこれ?」
自分でもそう思った。もうやらないと書いた気持ちは嘘ではなかった。それなのに、数時間後には自分で消したゲームを、自分でもう一度入れている。
意志が弱かった、と言えば簡単だ。ただ、その言葉だけでは、なぜ戻ったのかが抜け落ちてしまう気がした。
「もうやらない」は本気だった

アンインストールする前、ナイトレインにはかなり腹を立てていた。
私は一体ずつ、ゆっくり戦いたい。けれど、時間をかければ円が縮む。急げば判断が雑になり、死ねばさらに時間を失う。出撃するたびに配置も変わるため、前回の続きを練習している感覚も持ちにくかった。
前日には、エデレを残り1割弱まで削っていた。あと少しだったからこそ、翌日は記事を書かず、連続で出撃すれば倒せるかもしれないと思っていた。
ところが、二時間もたなかった。
その朝、なぜ「しばらく封印する」と「もうやらない」が同時に出てきたのかは、前の記事にそのまま残している。
アンインストールは勢いだけの言葉ではなかった。実際に消した。これで終わりにするつもりだった。
だから、同じ日に再インストールした自分が分からなかった。
空いた時間の行き先がなくなっていた

その日、直近まで動いていた仕事や個人のプロジェクトは、いったん落ち着いていた。残っている文章もあったが、AIの利用枠が回復するまでは進めにくい状態だった。
やることがないわけではない。家事もできるし、外へ出てもいい。別のゲームを選ぶこともできる。
それでも、そのどれにも気持ちが向かなかった。
ナイトレインの録画は、すでにたくさん残っている。プレイすれば、成功しても失敗しても何かが起きる。あとで見直して、考えて、文章にできるかもしれない。
そこで、ふと思った。
「なにか打ち込むものが欲しいのかもしれない」
ナイトレインがどうしても遊びたかった、とは少し違う。手を動かし、集中し、あとから言葉にできる対象が欲しかった。いくつかのプロジェクトが静かになったあと、その空白へ戻ってきたのがナイトレインだった。
ゲームへ戻ったというより、流れへ戻った

以前は、疲れている日にナイトレインを起動しないことも、長く続けるための判断だと考えていた。
その考えは今も変わっていない。
ただ、今回の私は、きれいに休むことができなかった。ゲームを消したことで時間は空いたが、その空白を休息として受け取れなかった。
ナイトレインを遊ぶ。録画を残す。あとで振り返る。何が起きたのかを文章にする。次に確かめたいことを考える。
いつの間にか、それが一つの流れになっていた。
一日一回の出撃と振り返りを続けた時期には、プレイそのものより、終わったあとに考える時間のほうが長い日もあった。
今回は、その流れをゲームごと消そうとした。そして、なくなってから、ゲームだけではないものまで消えていたことに気づいたのかもしれない。
再インストールは答えではない

同じ日に戻ったからといって、ナイトレインへの不満が解消したわけではない。
円は縮む。配置は変わる。ゆっくり戦いたいのに、急かされる。記事を書くための環境にも、まだ詰まりは残っている。
アンインストール前に嫌だったものは、再インストールしてもそのままだ。
だから、「やっぱりナイトレインが好きだった」という結論にすると、少し違う気がする。好きか嫌いかだけではなく、今の自分には何かへ集中している時間が必要だった。その受け皿として、いちばん近くにあったのがナイトレインだったのだと思う。
それが健全なのかは、まだ分からない。
空白をそのまま受け止められず、ゲームで埋めようとしただけかもしれない。あるいは、手を動かしながら考える自分にとって、プレイと執筆の往復が必要な生活のリズムになっていたのかもしれない。
「どうなのこれ?」のままで再開した

アンインストールした日に再インストールする。
外から見れば、ずいぶん矛盾している。自分で見ても、やはり「どうなのこれ?」と思う。
それでも、封印すると決めた朝も本当だったし、その日のうちに戻ったことも本当だった。どちらかを嘘にして、筋の通った話にする必要はないのだと思う。
この時点では、ナイトレインを続けると決め直したわけではない。次の遠征で何を試すかも、まだ置いていない。
ただ、消したあとに空いた場所を見て、自分は何か打ち込めるものを欲しがっているのかもしれない、と気づいた。
再開した理由として、今書けるのはそこまでだ。
NIGHTREIGNのソロ攻略と、追跡者・初期大剣で迷いながら続けてきた記録は、こちらにまとめている。



