疲れて何もできない日に、目標をひとつだけに絞って気づいたこと

労働と現実

朝、目を覚ました時点では、それほど疲れていないように感じていた。

前日の仕事が体力を使う内容だったため、いつもより少し長めに眠った。起きた直後は筋肉痛も強くなく、「今日は少し動けるかもしれない」と思った。

ところが、起きてしばらく活動すると、体が重くなってきた。結局、再び布団へ戻り、数時間眠った。

合計すると、かなり長い睡眠になった。

それだけ眠れば、すっきり回復してもよさそうなものだ。しかし、二度目に起きたあとのほうが疲労感は強かった。体を起こして何かを始めようという気持ちになれず、ただ横になっていたかった。

そんな日に、私は「今日やることをひとつだけにする」と決めた。

長く眠ったのに動けない自分を責めてしまう

疲れているとき、休むこと自体は難しくない。

難しいのは、休んでいる自分を許すことである。

長く眠ったのだから、もう回復しているはず。せっかく起きたのだから、何かしなければいけない。今日やる予定だったことを少しでも進めなければ、時間を無駄にしてしまう。

そう考えてしまうと、体は休んでいても、気持ちは休めない。

その日は、燃えるゴミを出す日でもあった。しかし、起きた時間が遅く、ゴミを出しそびれてしまった。

ゴミ袋を見るたびに、「これくらいのこともできなかった」と感じる。

本当は、仕事の疲れが残っていて、体が睡眠を必要としていただけなのだと思う。けれど、できなかったことが目に見える形で残っていると、それだけで自分を責めたくなる。

疲労が強い日は、予定が一つ崩れただけで、全部が駄目になったように感じやすい。

今日の目標を「裾上げだけ」にした

その日の夕方には、飲食店のアルバイトが入っていた。

そこで、どうしても出勤前に済ませておきたいことが一つあった。制服のズボンの裾上げである。

前回は裾上げが間に合わず、そのまま勤務した。厨房では床が濡れることがあり、長い裾が床に触れて、びしょびしょになってしまった。

動きにくいだけでなく、気持ちも悪い。転倒などの危険にもつながりかねない。

だから、その日は「裾上げさえ終わればよい」と決めた。

部屋の片づけも、仕事の作業も、細かな雑用も考えない。完璧にきれいに仕上げる必要もない。とにかく、勤務中に裾が床へ触れない長さにする。

やることを一つに絞ったら、不思議と動きやすくなった。

疲れているときは、作業そのものより、「あれもこれもやらなければ」と考えることに体力を使っているのかもしれない。

一つ終わると、次の行動が自然に生まれる

裾上げは、無事に終わった。

その時点で、その日の目標は達成している。

それだけで十分だったのだが、作業を終えたあと、会計関係の月次タスクが一つ残っていたことに気づいた。

普段なら、残っていたことに対して焦りや自己嫌悪を感じたかもしれない。

しかし、その日はすでに最優先の仕事を終えていた。余力があればやる、できなければ翌日に回す。そのくらいの気持ちで取りかかったところ、月次タスクも終わらせることができた。

最初から二つともやろうとしていたら、重く感じて手をつけられなかった可能性がある。

「一つだけでよい」と決めたことが、結果として二つ目の行動につながった。

目標を小さくすることは、怠けることではない。

動ける可能性を残すための工夫なのだと思う。

仕事を終えたあと、予定より疲れていた

その後、アルバイトへ出勤した。

裾上げをした制服は、前回よりずっと動きやすかった。床に触れる心配もなく、勤務前に済ませておいて本当によかったと思った。

しかし、仕事を終えて帰宅すると、予想していた以上に疲れていた。足も痛くなっていた。

帰宅後には、別の作業をしようと考えていた。

少し休んでから始めよう。最初はそう思った。

けれど、その日にすでに行ったことを振り返ると、長い疲労の中で裾上げをし、月次タスクを終え、立ち仕事もこなしている。

それ以上を求める必要はなかった。

予定していた作業ができないと、「今日は何もできなかった」と感じてしまうことがある。

しかし、予定を基準に一日を評価すると、体調の変化や予想外の負担はすべて失敗として扱われてしまう。

実際の自分が使えた体力の中で、何をできたのか。

その視点で見れば、その日は十分にやっていた。

疲れている日は、成功の基準を変えていい

体調のよい日と、疲労の強い日を、同じ基準で評価するのは無理がある。

元気な日なら、複数の作業を進められる。

疲れている日なら、仕事へ行くだけで一日の大部分の力を使うこともある。

それなのに、毎日同じ量を求めれば、できなかった日のたびに自己評価が下がってしまう。

疲れている日の成功は、大きな成果を出すことではない。

生活を壊さないこと。仕事に必要な準備を一つ済ませること。無理を重ねず、一日を終えること。

それでよいのだと思う。

以前の私は、少しくらい疲れていても、予定どおりに動こうとしていた。無理を重ねた先で、心身の調子を大きく崩したこともある。

だから今は、疲労を感じたときに、今日の最低限は何かを考えるようにしている。

全部を諦めるのではなく、一番大切なものだけを選ぶ。

その一つを終えたら、今日の自分を合格にする。

何もできない日ではなく、ひとつを守った日

ゴミを出しそびれた。

長く眠っても疲れが取れなかった。

帰宅後に予定していた作業もできなかった。

できなかったことだけを並べれば、うまくいかない一日に見える。

しかし、その日には、仕事で困らないように制服を整えた。残っていた会計作業も終えた。そして、疲れた体でアルバイトを最後までこなした。

何もできなかった日ではない。

限られた体力の中で、大切な一つを選び、それを守った日だった。

調子が悪い日に目標を小さくすることは、自分に甘くすることではない。

明日も生活を続けるために、自分の力を使い切らないという判断である。

疲れて何もできないと感じた日は、「今日は何を全部やるか」ではなく、「今日、何を一つ守るか」と考えてみる。

その一つができたなら、その日はもう、十分に前へ進んでいる。

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