その日は、飲食店のアルバイトを終えて帰宅し、パソコンを少し触ったところで眠ってしまった。
夜になって一日を振り返ったとき、最初に浮かんだのは「今日はバイトだけで終わった」という言葉だった。
けれど、そこで少し引っかかった。
よく考えると、出勤前、正確には前夜から続いていた土曜未明に、個人サイトの作業をかなり進めていた。使っているAIツールの利用枠が少なくなり、思うように開発できない焦りはあった。それでも、プロジェクト自体は昨日より先へ進んでいた。
「バイトだけの日だった」という振り返りは、どうやら正確ではなかった。
一日を振り返ると、最後にしたことだけが残る

アルバイトから帰ってきた時点では、もう大きな作業をする力は残っていなかった。
少しだけ続きを触ったものの、そのまま眠ってしまった。そこだけを見れば、たしかに自分の仕事をほとんど進められなかった日に見える。
以前、アルバイトだけで一日が終わると、生活は守れても未来が進んでいないように感じる、と書いた。
この感覚は今も変わっていない。自分で選んだ仕事にまったく触れられない日が続けば、やはり苦しくなると思う。
ただ、「毎日、アルバイトと個人作業の両方を行う」という基準にしてしまうと、それも新しい義務になる。
今回のように、帰宅後には動けなくても、その日の未明にまとまった作業ができていることもある。一日の後半だけを見て評価すると、前半に進んだことが消えてしまう。
土曜未明に進むという仮説の、次の一日

少し前、過去3か月の記録を振り返ったところ、個人開発が最も多く記録されていたのは土曜未明だった。
その記事を書いた次の土曜日にも、同じようなことが起きた。
これは「土曜未明なら必ず集中できる」という証明ではない。ただ、集計の中にあった傾向が、実際の生活の中でもう一度現れたことになる。
日中に自由な時間があれば進む、というほど単純ではない。身体が仕事から戻り、生活上の用事が落ち着き、ようやく自分の作業へ入れる。その時刻が、今はたまたま土曜の未明に来やすいらしい。
問題は、その進捗が夜になると見えなくなることだった。
帰宅後に何もできないと、その時点の疲労が一日全体を覆ってしまう。記録を見返さなければ、朝まで作業していたことさえ「今日はできなかった」という感覚に塗り替えられていたかもしれない。
進んだことと、無理がなかったことは別

一方で、この日を単純な成功体験にもしたくない。
出勤前にまとまって眠れたのは、午前6時から6時45分までの45分だけだった。作業は進んだが、睡眠は明らかに足りていない。
以前にも、短い睡眠で仕事へ行きながら自分のサイトも進み、「悪くない一日だった」と感じたことがある。
今回も、それに近い部分がある。
「土曜未明に進められたから問題ない」と言いたくなる。しかし、作業上の問題がなかったことと、身体への負担がなかったことは別だ。
帰宅後にすぐ眠ったのも、単に一日の仕事が終わったからではなく、先に使った睡眠を身体が取り戻そうとしていた可能性がある。
前へ進めたのは本当だ。それと同時に、翌日の力を先に借りたのかもしれない。その区別は、まだきれいにはついていない。
毎日ではなく、作業の流れが切れていないかを見る

今のところ、アルバイトと個人作業の両立を、一日ごとに採点しないほうが自分には合っているように思う。
集中できる時間にまとまって進める。アルバイトの日は生活を支える。帰宅後に余力があれば少し触り、動けなければ眠る。
毎日均等に進まなくても、数日後に同じ作業へ戻れているなら、流れは完全には切れていない。
ただし、週単位で進んでいれば睡眠を削ってよい、という話でもない。次に試したいのは、土曜未明の集中を失わず、どこかで作業を閉じて眠ることだ。
一区切りついたところで次の作業を一行だけ残す。続きを忘れない状態を作り、もう少し早く画面を閉じる。それでも同じように前へ進めるのかは、まだ分からない。
この日は、バイトだけの日ではなかった。
かといって、理想的に両立できた日でもなかった。
自分の仕事は進んだ。生活のためにも働いた。そして身体は、帰宅後に眠ることを選んだ。
前に進んでいることは大事だ。ただ、その言葉で疲れまで見えなくしないことも、同じくらい大事なのだと思う。


