肉体労働は運動不足解消になる?サーフィン上達につながらないと気づいた理由

サーフィンと生活

これまで私は、身体を使うアルバイトを続けることには、収入以外にも意味があると思っていた。

重い荷物を持ち、階段を上り、長時間動き続ける。デスクワーク中心の生活だけでは不足しがちな運動を、仕事によって強制的に確保できる。そう考えれば、肉体労働は運動不足を防ぐ習慣として、決して悪くないように見える。

実際、仕事へ行けば、気分にかかわらず身体を動かすことになる。自分でプールへ行く決意をしたり、海へ入る準備をしたりしなくても、勤務時間になれば動かざるを得ない。

しかし最近、少し違うのではないかと感じるようになった。

私は確かに身体を動かしている。けれど、その身体は、自分が本当に上達したいサーフィンへ近づいているのだろうか。

身体を使うことと、身体を鍛えることは違う

引越し作業では、多くの体力を使う。

荷物を運び、持ち上げ、狭い場所を通り、階段を何度も往復する。作業を終えた翌日には、脚や腕に痛みが残り、横になって回復を待たなければならない日もある。

これだけ疲れるのだから、身体は鍛えられているはずだと思いたくなる。

けれど、疲労の大きさと、目標に必要な能力が伸びていることは同じではない。

サーフィンでは、パドリングを続けるための持久力、波の動きに合わせて素早く立ち上がる力、不安定な板の上で姿勢を保つ感覚が必要になる。肩や背中だけでなく、体幹、股関節、脚を連動させて動くことも求められる。

重い荷物を運ぶ力と、波の上で動く力には、一部重なるところはあっても、大きな違いがある。

私は長い期間、引越しの仕事を続けてきた。それでも、サーフィンに必要な筋力や持久力が明確に伸びたという実感はない。

少なくとも、現在の働き方による身体負荷が、サーフィンの上達へ十分に変換されているとは言いにくい。

仕事で体力を使うと、好きな運動ができなくなる

さらに問題なのは、仕事の日だけではなく、翌日の時間と体力も使ってしまうことだ。

長時間の肉体労働を終えた翌朝、早く起きられる日もある。頭は動き、文章を書けることもある。しかし、しばらくすると筋肉痛や疲労が強くなり、集中できず、再び横になることがある。

そのような状態では、波があっても海へ行けない。プールで泳ぐための体力も残っていない。

つまり、一日の勤務によって失っているのは勤務時間だけではない。

翌日に運動する機会、制作する集中力、身体を回復させる時間まで含めると、実際には一日半から二日分の資源を使っている可能性がある。

身体を動かす仕事をしているために、自分が本当に続けたい運動ができない。

これは、運動不足が解消されているというより、運動に使える体力を仕事に先に使ってしまっている状態なのかもしれない。

サーフィンと水泳は、未来へ向かう運動

引越し作業で身体を動かせば、その対価として収入を得られる。

これは生活を維持するうえで重要なことだ。身体を使う仕事そのものを否定するつもりはない。

ただ、サーフィンやプールで泳ぐことには、別の意味がある。

海へ入り、パドリングを繰り返す。プールで一定の距離を泳ぎ、心肺機能や上半身の持久力を高める。それらは、将来もっとサーフィンを楽しみたいという自分の目標へ直接つながっている。

同じように一時間身体を動かしても、得られるものは違う。

仕事では、体力を収入へ交換する。

サーフィンや水泳では、技術、持久力、経験、楽しさを未来へ積み立てる。

どちらが正しいという話ではない。ただ、自分の体力には限りがある以上、何へ使うかを考える必要がある。

若い頃であれば、仕事で疲れた後に運動できたかもしれない。しかし今は、回復にも時間が必要になる。限られた身体資源を、すべてのことへ同時に使うのは難しい。

仕事を減らせば、自動的に運動できるわけではない

もちろん、肉体労働を減らしたからといって、自然にサーフィンや水泳の回数が増えるとは限らない。

仕事は強制力がある。出勤すれば、嫌でも身体を動かす。

一方、自発的な運動には判断が必要だ。今日は疲れている、波が小さい、天気が悪い、準備が面倒だ。そうした理由で先延ばしにしていれば、空いた時間がそのまま運動習慣になるわけではない。

だから本当に働き方を変えるなら、「仕事を減らす」だけでは足りない。

空いた曜日の午前中は、波があれば海へ行く。波がなければプールへ行く。体調が悪ければ回復へ回す。

そのように、仕事が占めていた時間の行き先まで決めなければならない。

大切なのは、肉体労働から逃げることではなく、そこで使っていた体力を、自分が望む方向へ移すことだと思う。

運動習慣ではなく、収入を得るための労働だった

これまで私は、身体を使うアルバイトを「お金を得ながら運動もできる仕事」と考えていた。

しかし今は、少し見方が変わっている。

それは運動習慣というより、収入を得るために身体を消耗する労働だった。

収入が必要なら、続ける理由はある。けれど、「健康のため」「運動不足解消のため」という理由まで加えて、自分を納得させる必要はないのだと思う。

身体を疲れさせることと、身体を育てることは違う。

これから考えたいのは、単に負担の少ない生活ではない。

消耗する運動を減らし、自分が上達したい運動へ体力を使う生活だ。

サーフィンが上手くなりたいのであれば、仕事で疲れ切ることを運動の代わりにするのではなく、海へ行ける身体と時間を残す必要がある。

その当たり前のことに、私はようやく気づき始めたのだと思う。

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