仕事が終わる時間が少し遅くなっても、あまり気にならない職場がある。
むしろ、働いた分だけ給料が増えるなら、多少の残業をしたいと思うことさえある。
一方で、出勤した瞬間から「早く帰りたい」と感じる職場もある。
仕事内容が特別に難しいわけではない。時給も悪くない。肉体的な負担も、ほかの仕事と比べれば軽い方だと思う。
それなのに、勤務が始まった瞬間から帰宅する時間を考えてしまう。
この違いは、単純に仕事が好きか嫌いかだけでは説明できないように思う。
理不尽な対応がなくなっても、帰りたい気持ちは残った
飲食店のホールでアルバイトをしている。
以前は、職場で立場の強い人から、納得しにくい対応を受けることがあった。
こちらは挨拶をしているのに返事をされず、反対に挨拶が足りないと注意される。相手の機嫌や基準が分からず、勤務中に警戒することが増えていた。
最近は、何か職場内の基準を満たしたのか、そのような対応を受けなくなった。
不快なやり取りが減ったことには、素直に安心している。
ところが、「早く帰りたい」という気持ちは残ったままだった。
そこで初めて、この感覚の原因は、特定の人だけではないのかもしれないと気づいた。
忙しいときには、帰りたいと考えない
ホールが忙しい時間帯には、帰りたいという気持ちはあまり浮かばない。
注文を受ける。料理を運ぶ。食器を下げる。席を整える。会計をする。
次にやることが明確なので、目の前の仕事へ意識を向けられる。
身体は忙しくても、「今の自分は何をしていればよいのか」と考える必要はない。
反対に、お客さんが少なくなり、隙間時間が生まれると急に落ち着かなくなる。
何か拭く場所はないか。補充できるものはないか。片付けるものは残っていないか。
仕事そのものを探すというよりも、何もしていないように見られないために、仕事を探す状態へ入っていく。
この時間になると、「早く帰りたい」という気持ちが強くなる。
暇なのに休めない時間が、人を疲れさせる
仕事が少ないなら、楽なはずだと思われることがある。
しかし、暇な時間がそのまま休息になるとは限らない。
職場にいる以上、自由に座ったり、スマートフォンを見たり、自分のことを考えたりはできない。
仕事がなくても、働いているように見える行動を続ける必要がある。
しかも、自分で見つけた仕事が正しいかどうかも分からない。
その場所を拭くより、別の仕事をするべきだったと思われるかもしれない。気づくのが遅いと思われるかもしれない。立っているだけで、やる気がないと判断されるかもしれない。
つまり、暇な時間には身体を休められる代わりに、周囲の視線を強く意識することになる。
仕事量は減っているのに、心理的な緊張は減らない。
むしろ、何をすれば正解なのか分からない分だけ、疲れることもある。
「監視されている感覚」が仕事を探させる
実際に誰かが常に監視しているとは限らない。
それでも、仕事をしていないように見られることを警戒していると、自分自身が監視役になる。
少し手が空くたびに、
「今、止まっていて大丈夫だろうか」
「何か見落としていないだろうか」
「誰かに注意されないだろうか」
と、自分の行動を点検し始める。
この状態では、暇な時間にも気持ちは休まらない。
忙しいときは、仕事が自分の行動を決めてくれる。暇なときは、周囲からどう見られるかを考えながら、自分で行動を決め続けなければならない。
肉体的には暇でも、判断と警戒は止まっていない。
これが、暇なのに疲れる理由の一つなのだと思う。
夕方以降は、自分の時間を失う感覚が強くなる
特に帰りたい気持ちが強くなるのは、夕方から夜にかけての勤務だ。
昼の忙しい時間が終わった後、いったん長い休憩を挟み、再び夕方から働く。
勤務時間だけを見れば、それほど長くない。しかし、一日の大部分が仕事によって分断される。
昼の勤務が終わっても完全には自由になれず、夜の勤務が終わるまで一日が終わらない。
夕方以降に隙間時間ができると、「自宅にいれば、別のことができるのに」という感覚も強くなる。
仕事が長引いて収入が増えることより、自分の時間を早く取り戻したい気持ちの方が勝つ。
ほかの仕事では、残業によって作業が進み、収入も増えると感じられる。
しかし、暇な店内で仕事を探し続ける時間は、何かが進んでいる感覚が薄い。給料は発生していても、時間を拘束されている印象の方が強くなる。
仕事のつらさは、忙しさだけでは測れない
仕事の負担を考えるとき、作業量や肉体的な大変さだけを見てしまいがちだ。
けれど実際には、
- 次に何をするかが明確か
- 暇なときに力を抜けるか
- 行動を常に評価されていると感じるか
- 自分の仕事によって終了へ近づいている感覚があるか
- 勤務が一日をどれだけ分断するか
といった条件も、働きやすさを大きく左右する。
暇な職場で早く帰りたいと思うのは、怠けたいからではない。
自由に休むこともできず、明確な仕事もないまま、働いている姿を維持し続けることに疲れている可能性がある。
今回、自分が早く帰りたいと感じる理由を考えたことで、仕事そのものが嫌なのではなく、暇な時間の過ごし方に負担を感じていることが見えてきた。
人間関係の問題が少し改善されても、職場の時間構造や監視されている感覚は残る。
「楽な仕事なのに、なぜか疲れる」と感じたときは、自分の根性を疑うよりも、暇な時間に何を求められているのかを見た方がよいのかもしれない。
忙しさよりも、自由のない待機時間の方が、人を強く消耗させることもあるのだから。