雑務ばかりで一日が終わったと感じる人へ|何もできなかった日の本当の意味

人生と仕事

「今日は何もできなかったな」と感じる日がある。

実際には朝から動いていて、いくつもの用事を済ませている。それでも、自分が本当にやりたかった仕事や創作が進んでいないと、一日を無駄にしたような気持ちになる。

先日が、まさにそんな日だった。

前日の長時間労働で身体には疲れが残っていた。腕や脚には筋肉痛があり、何度も眠った。それでも、洗濯をして、会計を整理し、入浴し、必要な資料を保存した。

眼科にも行き、運転のための眼鏡を作った。家賃の値上げについて管理会社へ連絡し、仕事の問い合わせにも返信した。

書き出してみれば、何もしていないどころか、かなり多くのことを片づけている。

それなのに、私の中には「雑務ばかりで、自分の時間がなかった」という感覚が残った。

雑務は成果として見えにくい

雑務がつらいのは、時間がかかるからだけではない。

終わっても、達成感が残りにくいからだと思う。

病院へ行っても売上は増えない。眼鏡を作っても記事は増えない。洗濯をしても、将来の収入には直接つながらない。問い合わせに返信しても、新しい作品を生み出したような感覚は薄い。

けれど、これらを放置すれば、あとで大きな問題になる。

見えにくい状態で運転を続ければ危険だし、家賃の交渉をしなければ固定費はそのまま増える。問い合わせを後回しにすれば、相手からの信頼を失うかもしれない。洗濯や会計も、ため込めば生活全体が重くなる。

雑務とは、何も生まない作業ではない。

未来の損失や不安を、まだ小さいうちに減らす作業なのだと思う。

面倒でも確認したから失敗を避けられた

眼鏡を作るとき、普段使っているフルフェイスのヘルメットに合うかどうかを確認する必要があった。

店員さんから、実物がないと正確には分からないと言われた。正直、とても面倒だった。いったん家まで戻り、ヘルメットを持ってもう一度店へ向かった。自転車で急いだので汗もかいた。

それでも、確認したおかげで、最初に選んでいたものより使いやすいフレームを選べた。

面倒を避けてそのまま買っていたら、あとになって「ヘルメットに入らない」「こめかみが痛い」と後悔していたかもしれない。

帰り道では、安く売られていた防水スニーカーにも心が動いた。雨の日に履ける靴が欲しかったので、必要性はあった。

ただ、試してみるとサイズが合わなかった。安いからと購入しても、足が痛くなったり、結局履かなくなったりする可能性がある。そこで購入を見送った。

この日は、何かを大きく前進させた日ではなかった。

しかし、小さな失敗をいくつも避けた日だった。

それもまた、生活を前へ進める一つの形なのだと思う。

自由時間を奪われると心は抵抗する

夜になると、翌日の仕事へ行くのが嫌になった。

仕事そのものが嫌というより、また一日、自分の時間がなくなることへの抵抗だった。

その日は病院や買い物、移動、連絡でほとんど終わった。自分で選んだ創作や遊びに使える時間は、ほとんど残っていなかった。

だから夜になってから、ゲームをしたい、何か作業をしたいという気持ちが強くなった。

人は疲れていても、自分の時間を取り戻したくなる。

翌朝が早いと分かっていても、深夜まで起きていたくなることがある。これは意志が弱いからではなく、奪われたように感じる時間を埋め合わせようとする、自然な反応なのかもしれない。

ただ、その反動で寝不足になれば、翌日の仕事はさらに苦しくなる。

その夜はゲームを始めず、照明を落として、スマートフォンで静かに本を読むことにした。眠れなくても、刺激を増やさず横になる。それを、その日の最後の選択にした。

できたことを書き出すと一日の見え方が変わる

「何もできなかった」と感じたときには、その日に終えたことを書き出してみる。

洗濯をした。連絡を返した。必要な買い物をした。病院へ行った。無駄な買い物を見送った。身体が求めるだけ眠った。

一つひとつは小さくても、並べてみると、生活を守るために多くの判断をしていたことが分かる。

頭の中だけで一日を振り返ると、できなかったことばかりが大きく見える。けれど、文字にすると、見落としていた行動も拾い直せる。

記録することは、自分を甘やかすためではない。

その日の自分が、実際に何を背負い、何を片づけたのかを正しく見るための作業なのだと思う。

見えない土台を整えた日も前進している

私たちは、目に見える成果だけで一日を評価しがちだ。

記事を書いた。売上が出た。作品を公開した。数字が伸びた。

もちろん、そういう日はうれしい。

けれど、生活は成果だけでは続かない。身体の確認、道具の準備、固定費の交渉、食事、睡眠、連絡。そうした地味なことが、これから先の仕事や創作を支えている。

「今日は雑務しかできなかった」と感じる日は、何も進んでいない日ではない。

見えないところで、転ばないための足場を作った日なのだ。

自分のやりたいことが進まなかった悔しさは、無理に消さなくてもいい。その気持ちは、本当に大切にしたいものがある証拠でもある。

ただ同時に、今日片づけた小さなことも数えてみたい。

成果が見えなくても、生活は少しずつ前に進んでいる。

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