最近、週末に入っている飲食店のアルバイトを、以前よりきつく感じるようになった。
仕事内容そのものが極端に重いわけではない。時給も悪くない。忙しい時間帯であれば、目の前の仕事に集中できるので、むしろ働きやすいと感じることもある。
それでも、出勤前になると気が重い。
最初は、何か欲しい物を思い浮かべれば、もう少し前向きに働けるのではないかと考えた。けれど、欲しい物がなかなか浮かばなかった。
今になって思うのは、問題はご褒美が足りないことではなかったということだ。仕事の負荷そのものが、自分にとって少し複雑な形をしていた。
朝の仕事は、前夜から始まっている
勤務開始は朝9時30分。
数字だけを見れば、それほど早朝ではないように見えるかもしれない。けれど、朝起きることが苦手な私にとっては、この時間でも十分に負荷が大きい。
しかも、負担は朝だけではない。
寝坊したら困るので、前夜から「もう遅くまで起きてはいけない」と考え始める。私は深夜になると思考が冴え、作業を進めたり、自分の好きなことを楽しんだりすることが多い。
ところが、翌朝に仕事がある日は、その時間を十分に使えない。
つまり、朝勤務によって失っているのは睡眠時間だけではない。前夜の自由、集中できる時間、自分のために使える時間まで、まとめて差し出している。
勤務表には書かれていなくても、朝の仕事は前日の夜から始まっているのだと思う。
忙しい時間の方が、むしろ気持ちは楽だった
飲食店の仕事は、忙しい時間と暇な時間の差が大きい。
ランチタイムは注文や片付けが続くため、次に何をするかを考える必要がない。目の前の仕事を順番に処理していけばよく、周囲の視線を気にする余裕も少ない。
忙しいはずなのに、心理的にはこちらの方が楽だった。
反対に、夜の勤務では仕事が途切れる瞬間が増える。
テーブルを確認し、補充物を見て、床や店内を確認しても、本当にもうやることがない。それでも、ただ待っていると「あの人は何もしない」と見られているような気がする。
実際に誰かからそう言われたわけではなくても、常に見張られ、評価されているような感覚がある。
そのため、仕事がないのに仕事を探し続ける。
必要があるから動くのではなく、何かしているように見せるために動く。これが思っていた以上に心を削っていた。
「暇」は休憩ではなく、評価にさらされる時間になる
仕事がないなら少し気を緩めてもよさそうなものだ。
しかし、待機することが許されない空気の中では、暇な時間は休憩にならない。
「何か見落としていないか」
「ぼんやりしていると思われていないか」
「自分だけ動いていないように見えないか」
そんなことを考え続ける。
身体は忙しくなくても、頭の中ではずっと警戒が続いている。忙しさによる疲労とは別に、評価され続けることによる疲労があるのだと思う。
この疲れは、仕事量だけを見ても分かりにくい。
楽そうな仕事なのに、なぜか帰宅するとぐったりする。そんなときは、実際の作業量よりも、勤務中にどれだけ自分を監視し続けていたかを考えた方がよいのかもしれない。
自分に合う時間帯と、仕事に合う時間帯がずれている
困るのは、ランチ帯の仕事内容そのものは比較的合っていることだ。
忙しいので余計なことを考えずに済み、仕事を探し続ける必要もない。
しかし、そのランチ帯に入るためには朝から出勤しなければならず、自分の生活リズムとは合わない。
一方、夜から働けば朝の負担は減るが、仕事が途切れる時間が増え、常に評価されている感覚が強くなる。
ランチ勤務は、勤務中は楽だが、勤務前の負荷が大きい。
夜勤務は、勤務前は自由だが、勤務中の負荷が大きい。
どちらを選んでも、別の場所に負担が残る。だから「朝が苦手だから夜にすればよい」という単純な話ではなかった。
欲しいのは物ではなく、自分の時間だった
欲しい物が思い浮かばなかった理由も、少し分かってきた。
私が欲しかったのは、新しい服や家電ではなく、自分の時間だったのだと思う。
深夜に考えたいことを考えられる時間。自分のプロジェクトを進められる時間。誰かに見張られている感覚から離れ、自分のペースで動ける時間。
それらは、何かを買うことで直接手に入るものではない。
だから、ご褒美を用意しても、仕事のつらさを十分には上書きできなかった。
時給だけでは、仕事の価値は決まらない
仕事を続けるかどうかを考えるとき、時給はもちろん大切だ。
けれど、一勤務が奪うものは、勤務時間だけではない。
前夜の自由、通勤時間、勤務中の緊張、帰宅後の疲労、翌日に残る消耗。そこまで含めて初めて、その仕事の本当の負担が見えてくる。
今すぐ辞めるか続けるかを決める必要はない。
ただ、「もっと楽しく働く方法」を探すよりも、今の勤務が自分の時間や心をどれだけ使っているのかを、正確に見ておきたい。
つらいと感じるのは、やる気が足りないからではない。
自分に合う時間帯と、仕事が求める時間帯がずれている。さらに、仕事がない時間にも評価され続けている感覚がある。
その構造が見えただけでも、少なくとも自分を責める必要はなくなった。
仕事がつらいとき、必要なのは気合いやご褒美ではなく、「何が自分を削っているのか」を分けて考えることなのだと思う。