住んでいるアパートの更新にあたり、大家さんから家賃の値上げを提案された。
現在は家賃4万1,000円、管理費2,000円で、毎月の支払いは合計4万3,000円だ。
大家さんから提示された新しい条件は、家賃4万3,000円、管理費2,000円。合計4万5,000円になる。
月2,000円の値上げだ。
年間では2万4,000円。2年間住めば4万8,000円になる。
小さな金額とは言えないので、周辺の賃貸相場を調べてみることにした。
すると、一番条件の近い物件として表示されたのは、今住んでいるアパートの別の部屋だった。
思わず「なんだそれ」と声が出た。
同じ建物の空室は、値上げ後より安かった
現在募集中の部屋は、家賃4万1,000円、管理費3,000円。合計4万4,000円だった。
数字を並べると、こうなる。
- 現在の支払額:4万3,000円
- 同じ建物の募集額:4万4,000円
- 大家さんの提示額:4万5,000円
大家さんが提示した金額は、同じ建物で現在募集されている部屋よりも月1,000円高い。
周辺の家賃相場が上がっているため値上げが必要だと言われれば、ある程度は理解できる。
しかし、同じ建物で新しく入居する人には合計4万4,000円で募集し、すでに住んでいる人には4万5,000円を求めるとなると、話は変わってくる。
長く住んでいる人の方が高くなることに、どうしても納得しにくい。
募集中の部屋にはエアコンまで付いていた
さらに募集内容を確認すると、その部屋にはエアコンが付いていた。
私が入居した部屋にはエアコンがなかったため、自分で購入して設置している。
しかも、購入費用はまだローンで支払っている途中だ。
家賃とは別に、毎月エアコン代を負担しているような状態である。
大家さんはエアコンを設置する費用を負担していない。それでも、エアコン付きの空室より高い家賃を提示されている。
そう考えると、月1,000円の差以上に不公平さを感じた。
設備条件だけで比較すれば、むしろ現在の家賃を維持するのが自然なのではないかと思う。
自分で部屋を住みやすくして、自分で費用を支払い、そのうえで家賃まで上がる。
さすがに腹が立った。
それでも強く反発できない理由がある
ただし、こちらにも一つ、通常の入居者より有利な条件がある。
私はバイクを所有しており、敷地内に無料で置かせてもらっている。
バイク置場のある賃貸物件は意外と少ない。物件によっては、自動車と同じように月5,000円前後の駐車料金が必要になることもある。
今の家を探したときも、バイクを置けることは重要な条件だった。
入居時にバイクの駐輪料金を請求されなかったため、現在まで無料で利用している。
そのことを考えると、月1,000円の値上げであれば、全体としては悪くない条件なのかもしれないとも思う。
一方で、今回の値上げ交渉へ強く反発した結果、
「それならバイクの駐輪料金を支払ってください」
と言われる可能性も、頭をよぎる。
月2,000円の値上げを拒否したために、月5,000円の駐輪料金が追加されたら、結果的には支払いが増えてしまう。
正しさだけで押し切れない理由が、ここにある。
納得できる金額と、受け入れる金額は違う
部屋の設備だけを比較するなら、現状維持が筋だと思っている。
同じ建物のエアコン付きの部屋が合計4万4,000円で募集されているのだから、エアコンを自費で設置した私の部屋が4万5,000円になるのはおかしい。
その感覚は変わらない。
ただ、無料のバイク置場を含めた生活全体で考えると、月1,000円の増額で合意することには、現実的な意味もある。
これは、大家さんの値上げが正しいと認めることではない。
無料駐輪という現在の条件を守り、余計な争点を増やさず、この場所で暮らし続けるために、月1,000円を調整費として受け入れるという判断だ。
納得して支払うのと、損失を抑えるために受け入れるのは違う。
この違いを自分の中で分けておかないと、「我慢して負けた」という気持ちだけが残ってしまう。
暮らしの判断は、一つの数字だけでは決められない
家賃が高いか安いかは、部屋の広さや築年数だけでは決まらない。
エアコンの有無、駐輪場、立地、引っ越しにかかる費用、大家さんとの関係、生活のしやすさ。
すべてを合わせて、ようやくその家の本当の費用が見えてくる。
今回、相場を調べたことで、大家さんから提示された月2,000円の値上げを、そのまま受け入れる必要はないと分かった。
同時に、自分が無料で使えている条件にも価値があることを確認した。
だから私は、現状維持が最も公平だと思いながらも、月1,000円増の合計4万4,000円を、現実的な着地点として考えている。
怒りを感じることと、冷静に損得を考えることは両立する。
不公平さに気づいたからといって、必ず正面から戦わなければならないわけでもない。
自分の暮らしを守るために、どこまで主張し、どこで折り合うのか。
その判断もまた、自分の人生を自分で選ぶことなのだと思う。