職場への電話が怖いのはなぜ?働く人を軽く扱う職場で感じていた心理的負担

労働と現実

同じ会社へ電話をしたのに、片方では強く緊張し、もう片方ではほとんど心理的な負担を感じなかった。

今日、そんな少し不思議な体験をした。

最初に電話をしたのは、これまで働いていた拠点の配車や勤務調整を担当する部署だった。確認したいことがあり、電話をかける必要があったのだが、発信するまでにはかなり気持ちの重さがあった。

話す内容は決まっている。無理な要求をするわけでもない。それでも、電話をかける前から身構えてしまった。

その後、新しく移る拠点について別の確認事項が出てきたため、今度は一般のお客様向け問い合わせ窓口へ電話をした。

すると、先ほどまでの緊張が嘘のように、ほとんど負担を感じなかった。

同じ会社への電話なのに、なぜこれほど心理状態が違ったのだろう。

お客様窓口には「丁寧に対応される」という安心がある

お客様向けの問い合わせ窓口へ電話するときには、ある程度の安心感がある。

電話に出る人は、お客様対応を仕事としている。少なくとも、最初から不機嫌そうにされたり、面倒そうに扱われたりする可能性は低い。

分からないことを聞いてもよい。確認したいことを説明してもよい。相手には、こちらの話を聞き、必要な情報を案内する役割がある。

つまり、会話のルールが最初から決まっている。

こちらは質問する側で、相手は案内する側である。丁寧に対応してもらえる可能性が高いと分かっているため、相手の機嫌や反応を過剰に警戒しなくて済む。

一方で、以前の勤務先へ電話するときには、その安心感がなかった。

忙しそうにされたらどうしよう。面倒な人だと思われるかもしれない。こちらの希望を軽く流されるかもしれない。質問しただけで、嫌そうな反応をされるかもしれない。

そうした可能性を、私は無意識のうちに予測していたのだと思う。

電話が苦手なのではなく、雑に扱われることを警戒していた

私はこれまで、電話そのものが苦手なのだと思っていた。

けれど、お客様窓口にはほとんど抵抗なく電話できたことを考えると、問題は電話という手段ではなかったのかもしれない。

心理的な負担の正体は、

相手がどのような態度で出てくるか分からない状態で、自分の立場を守りながら話すこと

だった可能性がある。

相手が丁寧に対応してくれると分かっていれば、電話はそれほど怖くない。

ところが、相手の忙しさや機嫌によって対応が変わるかもしれない場面では、話す内容とは別のことまで考えなければならない。

言葉を選び、声の調子を読み、自分が迷惑な存在ではないことまで証明しなければならないような感覚になる。

電話を一本かけるだけなのに疲れるのは、会話そのものではなく、電話の向こう側から返ってくるかもしれない不快な反応に備えているからなのだろう。

表面上では分かりにくくても、無意識は職場の扱いを感じ取っている

今回の経験を振り返ると、私は以前の職場で、働く人があまり大切に扱われていないと感じていたのかもしれない。

誰かから直接「あなたを軽く扱っています」と言われたわけではない。

表面上は、普通の職場に見える。仕事も進んでいるし、大きな問題が毎日起きているわけでもない。

それでも、小さな対応の積み重ねから、無意識は何かを感じ取っていたのだと思う。

質問をしても十分に説明されない。連絡をしても反応が遅い。希望を伝えても、その後どうなったのか知らせてもらえない。

一つひとつは、忙しかったから、忘れていたから、仕方がなかったからと説明できることかもしれない。

けれど、それが繰り返されると、

この職場では、働いている人の事情や気持ちは、それほど重要ではないのかもしれない

という感覚が少しずつ残っていく。

頭では気にしすぎだと思っていても、身体や無意識は、相手の反応をよく覚えている。

だから電話をかける前から、また軽く扱われるかもしれないと身構えていたのだろう。

支店移動の希望を伝えてから、1か月以上放置された

今回、私は勤務する拠点を変更したいという希望を伝えていた。

ところが、希望を出してから実際の移動が完了するまで、1か月以上かかった。

時間がかかること自体には、事情があるのかもしれない。人員配置や手続きなど、すぐに決められないこともあるだろう。

しかし問題は、時間がかかったことだけではなかった。

現在どのような状況なのか。誰が対応しているのか。いつ頃結果が分かるのか。そうした説明がほとんどないまま、長いあいだ放置されたように感じた。

待たされる側は、その間ずっと状況を判断できない。

移動できるのか。できないのか。今後も同じ職場で働き続けるのか。別の選択肢を考えた方がよいのか。

必要な情報がないため、自分の今後を決めることもできない。

こうした対応は、会社側に悪意がなかったとしても、働く人を軽く扱っていると受け取られても仕方がないと思う。

人を大切に扱うとは、特別に優しくすることではない。

希望を受け取ったなら、現在の状況を伝える。時間がかかるなら、時間がかかると説明する。できるか分からないなら、その段階で分からないと伝える。

それだけでも、待つ側の心理的な負担は大きく変わる。

働く人を軽く扱う職場には、見えにくいサインがある

働く人を軽く扱う職場というと、怒鳴られる、暴言を言われる、過酷な労働を強制されるといった、分かりやすい問題を想像しやすい。

しかし実際には、もっと見えにくい形で表れることもある。

連絡を後回しにされる。質問への回答が曖昧なまま終わる。本人に関係する決定なのに、十分な説明がない。希望を伝えても、受け取ったまま放置される。

一つだけなら偶然かもしれない。

けれど、そのようなことが繰り返され、連絡をするたびに強い心理的負担を感じるのであれば、そこには理由がある可能性がある。

自分が繊細すぎるからだと、すべてを自分の問題にしなくてもよい。

安心して質問できないこと。普通の確認をするだけで緊張すること。連絡する前から相手の機嫌を心配すること。

そうした感覚は、職場との関係が安全ではないことを知らせるサインなのかもしれない。

職場を変える決断は、自分を守るための行動だった

新しい職場が、自分にとって必ず良い環境かどうかはまだ分からない。

人間関係も、仕事の進め方も、実際に働いてみなければ見えないことが多い。

それでも、今回の体験を通して、支店を移るという決断は間違っていなかったと改めて感じた。

私は、軽く扱われていると無意識に感じながら、同じ場所で働き続けていた。

大きな問題が起きていないから。仕事だから仕方がないから。どこへ行っても似たようなものかもしれないから。

そう考えて、自分が感じていた違和感を小さく扱っていたのだと思う。

しかし、電話一本に感じる心理的負担の違いが、その違和感をはっきり見せてくれた。

安心して話せる相手には、自然に電話ができる。

雑に扱われる可能性を感じる相手には、電話をかけるだけで強く消耗する。

身体や無意識は、頭より先に職場との関係を理解していたのかもしれない。

心理的負担が大きい職場から離れるのは、逃げではない

職場を変えるとき、「自分が我慢できないだけではないか」「もう少し頑張るべきではないか」と考えてしまうことがある。

けれど、長く働くために必要なのは、我慢を増やすことだけではない。

自分が普通に質問できること。困ったときに相談できること。希望を伝えたときに、きちんと扱ってもらえること。

そうした環境があって初めて、仕事そのものに力を使える。

人間関係への警戒に多くのエネルギーを使う職場では、業務以外の部分で少しずつ消耗してしまう。

今回、私は状況を変えるために希望を伝え、何度か確認し、最終的に勤務する場所を移ることができた。

すぐには進まなかった。何度も連絡する必要があり、心理的な負担もあった。

それでも、何もせずに同じ場所で我慢を続けるのではなく、自分の環境を変えるために動いた。

新しい場所がどうなるかは、まだ分からない。

けれど、軽く扱われていると感じながら働き続けないという選択をしたことは、自分を守るための大切な行動だったと思う。

職場への電話が怖いと感じたとき、その原因は電話が苦手だからとは限らない。

その職場で、自分がどのように扱われてきたか。

安心して質問できたか。希望をきちんと受け取ってもらえたか。普通の連絡をするときに、相手の機嫌を過剰に心配していなかったか。

そうしたことを振り返ると、自分の心理的負担の正体が見えてくることがある。

無意識が感じている違和感は、すべてが正しいとは限らない。

それでも、長く無視し続けてよいものでもない。

自分が軽く扱われていると感じる場所から離れることは、わがままでも逃げでもない。

自分を雑に扱う環境に、自分まで合わせ続けないための選択なのだと思う。

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