新しい勤務先で初めて働いた翌朝、以前の職場で感じていた居心地の悪さについて、少し理解できた気がした。
仕事内容が極端に違うわけではない。働いている人の年齢や立場も、それほど大きくは変わらない。それでも、場所が変わると、これまで当たり前だと思っていた空気が、実は当たり前ではなかったと分かることがある。
以前の職場は、慢性的な人手不足だった。アルバイトも社員も足りず、若いドライバーが多かった。初めて本格的に社会で働く人にとって、職場は仕事の技術だけでなく、人との関わり方や不満の伝え方を学ぶ場所でもある。
しかし、そこでは若い社員が店長へ不満や要望を強い言葉でぶつけ、店長は話を聞きながらも、実際には何も変えないという場面をよく見かけた。
話を聞くことと、対応することは違う
もちろん、管理する立場の人が、現場から出る要望をすべて受け入れることはできない。
人員、売上、勤務時間、会社の規則など、本人の裁量では変えられないことも多い。だから、要望を断ること自体が問題なのではない。
問題なのは、できない理由を説明せず、「分かった」と受け止めるだけで終わらせることだと思う。
その場では衝突を避けられる。けれど、話を聞いてもらった人は、何かが進むことを期待する。何度待っても状況が変わらなければ、やがて「この人に話しても意味がない」と感じるようになる。
私が勤務場所の変更を希望したときにも、似たことが起きた。希望は受け取ってもらえたが、実際の手続きや情報共有は進んでいなかった。
振り返ると、あの職場では「話を聞くこと」と「責任を持って処理すること」が分かれていたのだと思う。
職場におけるレモン市場とは何か
経済学には「レモン市場」という考え方がある。
中古車市場では、売り手は車の品質を知っていても、買い手には良い車と悪い車を見分けにくい。そのため買い手は高い価格を出せず、良質な車を持つ人ほど市場から退出する。結果として、質の低い車ばかりが残り、市場全体への信頼が下がっていく。
職場にそのまま当てはめられる概念ではないが、似た現象は起こり得る。
仕事ができる人、他の職場でも通用する人、働くうえで最低限の敬意や説明を求める人ほど、環境に見切りをつけたときに移動できる。
一方で、その職場の不合理さに慣れた人、強い言い方や雑な関係性を受け入れられる人、ほかへ移る条件が整っていない人は残りやすい。
ここで大切なのは、残った人を「悪い人材」と決めつけないことだ。
職場の環境が、そこで生き残りやすい行動を選別しているのである。
良い人から辞める職場は、偶然できるのではない
人手不足の職場では、一人が辞める負担が大きい。そのため、本来なら人を大切にしなければならない。
ところが実際には、人が足りないことで管理する側にも余裕がなくなり、説明や連絡が雑になる。雑に扱われた人が辞め、さらに人手不足が進む。そして、残った人の負担が増えて、言葉や態度も荒くなる。
こうして、人手不足が人手不足を生む循環ができてしまう。
その職場に長くいる人ほど、「どこもこんなものだ」と感じるかもしれない。しかし、外へ出る選択肢を持つ人から見れば、わざわざそこに残る理由は少なくなる。
良い人材が辞めるのは、本人の我慢が足りないからではない。より誠実に扱われる場所へ移れるから辞めるのである。
居心地の悪さは、仕事のきつさだけではなかった
以前の職場で感じていた働きづらさを、私は仕事内容や体力的な負担のせいだと思っていた。
もちろん、それも一部にはあった。
けれど、今回場所を変えてみて、違和感の中心には、人との関わり方があったのだと気づいた。
言葉と行動が一致しない。要望を伝えても進展がない。他人への敬意が薄い態度が、日常の一部として受け入れられている。そうした小さな積み重ねが、職場全体への不信感になっていた。
人は、明確に傷つけられなくても、その場所で自分や周囲の人がどのように扱われているかを感じ取っている。
居心地の悪さには、まだ言葉になっていない理由があることも多い。
環境を変えることで、初めて見えることがある
新しい職場が、これからずっと働きやすい場所かどうかは、まだ分からない。一度勤務しただけで結論は出せない。
それでも、比較できる場所ができたことで、以前の職場で感じていた違和感を、単なる気のせいとして扱わずに済むようになった。
職場を離れることは、必ずしも逃げではない。
自分が何に消耗していたのかを確かめるために、環境を変えることもある。
そして、新しい場所に立ったとき、ようやく分かることがある。
自分が弱かったのではなく、信頼を失いやすい仕組みの中で、長い間働いていたのかもしれない、と。