新しいプロジェクトを凍結することにした。
しばらく時間をかけて戦略を考え、AIもかなり使いながら構想を練り、実際に制作物も作っていた。ビジネスとして成立する可能性はあったと思う。少なくとも、まったく見込みのないものに時間を使っていたわけではない。
けれど最終的に、そのプロジェクトは自分の価値観と合わないと判断した。
理由はシンプルで、僕自身がそのテーマを心から信じきれていなかったからだ。
占いを否定したいわけではない
そのプロジェクトは、占いに関わるものだった。
誤解のないように言うと、僕は占いそのものを頭ごなしに否定したいわけではない。人は不安なとき、誰かの言葉に支えられることがある。先が見えないとき、物事を別の角度から見直すきっかけとして、占いが役に立つ場面もあると思う。
実際、占いを通じて気持ちが整理されたり、自分では言語化できなかった迷いに名前がついたりすることもあるだろう。
だから、占いを楽しむ人や、誠実に向き合っている人を否定したいわけではない。
ただ、自分がそれをビジネスとして扱うことには、ずっと小さな違和感があった。
不安に近いものを商売にする怖さ
占いは、人の不安や迷いにとても近い場所にある。
将来が不安。
恋愛がうまくいくか不安。
仕事を変えていいのか不安。
引っ越して大丈夫なのか不安。
この選択で間違っていないのか不安。
そういう気持ちがあるから、人は占いに答えを求める。
もちろん、その不安をやわらげるために言葉を届けるなら、それは意味のある仕事かもしれない。けれど一方で、不安に近い商売は、やり方を間違えると簡単に「不安を減らす仕事」ではなく「不安を長引かせる仕事」になってしまう。
不安を解消するのではなく、不安を次の依頼につなげる。
安心させるのではなく、もっと知りたいと思わせる。
自分で決められる状態に戻すのではなく、判断を外部に預けさせる。
そうなったとき、それは人の弱っている部分を収益源にするビジネスになってしまう。
僕が引っかかっていたのは、たぶんここだった。
「不安産業」の側に立つことへの違和感
世の中には、不安を扱うビジネスがたくさんある。
保険、健康、投資、教育、自己啓発、占い。
それらすべてが悪いわけではない。むしろ、人の不安を減らしたり、備えを作ったり、判断材料を渡したりする仕事は必要だと思う。
ただ、不安を扱う仕事には、常に境界線がある。
そのサービスは、本当に相手の不安を軽くしているのか。
それとも、不安を刺激して依存させているのか。
その線引きは、とても難しい。
今回のプロジェクトでも、自分なりに「不安をあおらない形にしたい」「占い師としてではなく、道具を提供する側に立ちたい」と考えていた。鑑定そのものを売るのではなく、業務支援やシステム提供なら、自分の立ち位置として成立するのではないかとも思っていた。
けれど、どれだけ言い方を変えても、最終的には占いを支える側に回ることになる。
自分が心から信じていないものを、誰かが広める手助けをする。
人の不安に近い領域で、収益の仕組みを作る。
そこに、自分の中でどうしても消えない抵抗があった。
違和感を合理性で上書きしていた
それでも僕は、その違和感を見ないふりしていた。
「ビジネスとしては可能性があるかもしれない」
「高単価にできるかもしれない」
「自分が直接占うわけではないから大丈夫かもしれない」
「AIを使えば効率よく展開できるかもしれない」
そうやって、心の中にある引っかかりを、戦略や合理性で上書きしようとしていた。
不思議なことに、作業中はそれほど苦しくなかった。
戦略を考えることはできたし、AIを使って整理するのも面白かった。制作物を作ることもできた。
だから余計に判断が難しかった。
手が止まるほど嫌なら、もっと早くやめられたと思う。
でも人は、違和感を抱えたままでも案外動けてしまう。
作業ができることと、その方向に進んでいいことは別なのだ。
凍結を決めたら、少し落ち着いた
最終的に凍結すると決めたとき、意外にも少し落ち着いた。
がっかりするかと思った。
時間を使ってしまったことを後悔するかと思った。
また一つ収益化の候補を失ったように感じるかと思った。
でも実際には、「もうこの方向で無理に考えなくていいんだ」と感じた。
その感覚が出たことで、逆に分かった。
やはり自分の中では、どこか無理をしていたのだと思う。
強い拒否感として表に出ていたわけではない。
でも、頭のどこかでずっと問いが残っていた。
本当にこれは自分がやりたいことなのか。
この領域を広げる側に立っていいのか。
お金になるかもしれないという理由で、自分の違和感を無視していないか。
その問いに、ようやく答えを出した感じがした。
受注型の収益にも引っかかりがあった
もう一つ気になっていたのは、収益の上げ方だった。
そのプロジェクトは、どうしても受注型の要素が出てくる。
誰かに売る。相談を受ける。要望を聞く。関係性の中で進める。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。
ただ、自分にとって受注型の仕事は消耗しやすい。
相手に合わせること。
期待を読み取ること。
納得してもらうこと。
関係性を維持しながら進めること。
そうした負荷が重なったうえで、扱うテーマそのものにも違和感があるなら、長く続けるのは難しい。
収益化できる可能性があっても、自分がそのお金をどんな気持ちで受け取るのか。
そこまで考える必要があった。
損切りは、失敗ではなく判断だった
かなりの時間を使った。
そこは事実だ。
もっと早く判断できたのではないか、と思わないわけではない。
けれど、今回の時間が完全に無駄だったとも思っていない。
実際に考えたから分かったことがある。
AIを使って戦略を深掘りしたから見えたことがある。
制作物を作るところまで進めたから、「できるけれど、続けたいわけではない」と分かった。
これは大きい。
頭の中だけで判断できることばかりではない。
少し動いてみて、形にしてみて、そこで初めて分かる違和感もある。
今回の損切りは、単に「失敗したからやめる」ではない。
この方向に進める力はある。
けれど、自分の価値観とは合わない。
そう判断して止めることだった。
自分が信じていないものを広げる側には回らない
今回のことで、一つはっきりした基準ができた。
自分が信じていないものを、収益のために広げる側には回らない。
これはきれいごとだけではない。
長く働くための現実的な判断でもある。
短期的にお金になりそうでも、自分の内側とズレているものは、どこかで必ず重くなる。最初は戦略で押し切れても、続けるほどに苦しくなる。
これからは、収益性だけではなく、
「自分はこの領域が広がることを望んでいるか」
「これを人に届けることに後ろめたさがないか」
「不安を減らす側に立てているか」
「稼げたあとも続けたいと思えるか」
を判断基準に入れたい。
早めに切れたことをよしとする
時間は使った。
でも、まだ引き返せる段階で止めることができた。
もっと深く入り込んでからでは、やめるコストはさらに大きくなっていたと思う。
顧客がついてから、売上が立ってから、関係性ができてからでは、もっと切りにくかったはずだ。
そう考えると、今ここで凍結できたのは悪くない。
これは遠回りだったかもしれない。
でも、自分が進むべきではない道を確認できた遠回りだった。
稼げるかどうかだけではなく、
そのお金をどういう気持ちで受け取れるのか。
これからは、そこまで含めて、自分の仕事を選んでいきたい。