タバコを1日28本吸った|PC作業で本数が増え、「おいしくないのに吸う」自分に気づいた

感情と言葉

生活記録を見返していて、「28本」という数字に手が止まった。

朝6時過ぎに吸った1本目から、翌朝6時過ぎの28本目まで。20本入りの一箱を空け、さらに8本吸ったことになる。こうして数字にすると、自分でも多いと思う。

ただし、その日は一般的な「朝に起きて、夜に眠る一日」ではなかった。

私は日付が変わった時刻ではなく、本睡眠を境に一日を記録している。途中で仮眠はしていたものの、活動は翌朝まで続いた。起きている時間が長ければ、それだけタバコを吸える時間も増える。

だから最初は、「活動時間が長かったのだから、本数が多いのは仕方ない」と考えた。

これは、単なる言い訳でもないと思う。眠っている間は吸わないのだから、活動時間の長さが本数に影響するのは当然だ。28本という数字だけを見て、普段の一日と同じ条件で比べるのも少し違う。

早朝6時を示す時計と、本数が多く記されたノート、灰皿が並ぶ机

「1日28本」という数字だけでは見えないもの

以前の私は、自分が一日に何本吸っているのかを、あまり正確に把握していなかった。

多かった気はする。昨日より増えた気もする。その程度の曖昧な感覚で済ませていた。

しかし、実際に一本ずつ記録すると、数字はごまかせない。28本という結果を見て初めて、「多かった」で終わらせず、その日に何が起きていたのかを考えられる。

本数を記録することは、自分を責めるためではなく、現在地を知るためなのだと以前にも書いた。

直前の記録では、勤務日に吸う機会が少なかったため、21時8分までで10本だった。そのときの私は、「本数だけでは実態を読めない」と考えていた。

今回の28本も、私を裁く判決ではない。活動時間が長かったことを含め、その日の生活を見直すための材料なのだと思う。

ただ、「長く起きていたから仕方ない」だけで終えると、もう一つの原因を見落としてしまう。

それが、PC作業だった。

PC作業中は、いつでも吸えてしまう

外出しているときや、人と一緒に働いているときは、吸える時間が限られる。

移動中だから吸えない。周囲に人がいるから吸わない。決められた休憩まで待つ。自分の意思とは関係なく、次の一本まで間が空く状況がある。

ところが、PC作業ではその制約がほとんどない。

パソコン作業の机のすぐ横に置かれた灰皿とタバコ

文章がうまくまとまらない。画面の処理を待っている。一つの作業が終わった。次に何をするか考えたい。そんな小さな区切りのたびに、タバコへ手を伸ばせる。

一本一本に、強い「吸いたい」という気持ちがあったわけではないのかもしれない。

作業を止めるために吸ったのか、吸うために作業を止めたのか。それすら分からないまま、タバコが句読点のようにPC作業へ入り込んでいた。

長時間のPC作業と「いつでも吸える環境」が重なると、小さな一本が一日を通して積み上がっていく。勤務日の10本と、家でPCに向かった日の28本は、同じ「一日の本数」としては並べにくい。

最近、タバコがおいしくない

28本という数字以上に引っかかったのは、最近のタバコをおいしいと感じていないことだ。

灰皿に置かれた吸いかけのタバコと、冷めたお茶

吸う前には、少し気分が変わるような気がする。ところが、実際に吸っても大して満足しない。仕事が進むわけでも、疲れが取れるわけでもない。

それでも、しばらくするとまた吸っている。

おいしいから吸うのであれば、少なくとも自分の好みとして説明できる。しかし、おいしくない。気持ちよくもない。それなのに時間とお金を使い、吸える状況になるたび火をつけている。

正直に言えば、本当はやめたい。

身体に良くないからという知識だけではなく、今の自分にとって「吸っている意味がない」と感じ始めているからだ。

以前にも、久しぶりに吸ったタバコがおいしくなく、実際に気分を変えたのは外へ出て行動したことだったと書いている。

それでもまた吸っているのだから、「意味がないと分かったから、もうやめられる」と簡単には言えない。頭で納得することと、長く続いた習慣から離れることは別なのだと思う。

28本を言い訳にも、判決にもしたくない

活動時間が長かったから、本数が多くなった。それは事実だと思う。

同時に、PCの前でいつでも吸える状態が、本数を押し上げていた可能性も高い。この二つは、どちらか一方だけが正しいわけではない。

次に記録するときは、時刻と本数だけでなく、「本当に吸いたかったのか」「作業の区切りだったのか」「ただ手が伸びただけなのか」も少し残してみたい。

PCからタバコを離して置いたらどうなるのか。一本吸う前に、席を立つだけの休憩を挟んだらどうなるのか。まだ試した結果は分からない。

明日から完全にやめられるとも、何本まで減らせるとも、今は言えない。

ただ、28本吸ったことよりも、おいしくないものを何度も吸っていたことの方が、今の私には重く感じられる。

「吸っている意味がない」という本音が出てきたことを、また自分を責める材料にはしたくない。今まで見えなかった習慣の形が、ようやく少し見えてきた。その事実だけは、次の記録へ持っていきたい。

この記事を読んで、何か感じるものはありましたか?
読んで何か感じるものがあったら、そっと「いいね」を押してもらえると嬉しいです。

関連記事

目次