タバコを吸いすぎた不安。次の血液検査が怖くなって気づいたこと

感情と言葉

最近、タバコを吸う本数が増えている。

何本吸ったのか正確に数えていない日もあるが、自分でも「少し多い」という範囲ではなくなっていることは分かっている。

吸い終わった直後に、もう次の一本を考えている。作業の区切り、食後、外出前、帰宅後。何か理由があるようで、実際には大した理由もなく火をつけていることも多い。

そんな状態が続くなかで、急に次の血液検査が心配になった。

ニコチンやタールは身体の中でどう処理されるのだろう。肝臓に負担がかかり、次の検査で数値が悪くなるのではないか。

吸っている間は見ないようにしていた不安が、検査という具体的な予定を意識した途端、急に現実味を持ち始めた。

「数値が悪かったらどうしよう」という怖さ

血液検査の結果は、普段は見えない身体の状態を数字で突きつけてくる。

AST、ALT、γ-GTP。

項目名を見ても、自分では詳しい意味までは分からない。それでも基準値を超えていれば、身体に何か問題が起きているように感じる。

特に今回は、喫煙量が増えている自覚がある。

そのため、もし数値が悪かったら、

「やはりタバコのせいだったのではないか」
「自分で悪くしたのではないか」
「もっと早く減らしておけばよかった」

と考えてしまいそうだった。

一方で、数値が正常なら安心して吸い続けてよいのかといえば、それも違う。

血液検査は身体の状態を知るための材料ではあるが、喫煙の影響をすべて一度の数字で判定できるわけではない。

数値が正常でも、タバコを吸うことによる負担がなくなるわけではない。逆に数値が高かったとしても、原因がすべてタバコだとすぐには決められない。

私は肉体労働もしているため、検査前の筋肉痛や身体への負荷が数値へ影響する可能性もある。服用している薬や食生活、睡眠など、身体の状態は一つの要因だけでできているわけではない。

そう考えると、怖いのは検査結果そのものだけではなかった。

自分の生活が、数字として見えることが怖かったのだと思う。

肝臓で代謝されることと、肝臓が壊れることは同じではない

ニコチンは主に肝臓で代謝されるという。

それを知ったとき、最初は「やはり肝臓へ直接負担をかけているのか」と不安になった。

しかし、肝臓で処理されることと、肝臓が傷ついていることは同じではない。

私たちが食べたり飲んだりしたものの多くは、体内で分解され、利用されたり排出されたりする。その処理を行う臓器の一つが肝臓である。

だから、「肝臓で代謝される」という事実だけで、次の検査結果が悪くなると決まるわけではない。

タールも一種類の物質ではなく、タバコの煙に含まれるさまざまな物質の集まりだという。

身体への影響は単純ではない。

だからこそ、「吸った本数が多いから必ずこの数値が上がる」という分かりやすい答えもない。

少し安心する一方で、曖昧だからこそ、自分の都合のよい解釈もできてしまう。

「必ず悪くなるわけではないなら、まだ大丈夫」

そう考えれば、今の吸い方を続ける理由にもできてしまう。

不安を消すことより、今の状態を正確に見る

私は、血液検査への不安をなくしたかった。

けれど、調べていくうちに、不安を完全に消すことより、現在の状態を正確に伝える方が重要だと感じた。

医師に相談するときは、

最近どの程度吸っているのか。
肉体労働の後で筋肉痛があるのか。
どのような薬を飲んでいるのか。
睡眠や食事はどうなっているのか。

そうした情報を隠さず伝える必要がある。

「タバコを吸っています」だけではなく、「最近は一日にこのくらい吸っています」と具体的に伝える。

自分でも正確な本数が分からないのであれば、まずは数えるところから始めなければならない。

本数を記録することは、禁煙を成功させるための気合いではない。

現在の状態を、自分の感覚だけでなく事実として把握するための作業だ。

多いと感じながら数えないでいると、吸った量は曖昧なままになる。曖昧なら、自分に都合よく少なく見積もることもできる。

数字が怖いから数えないのではなく、判断するために数える。

血液検査と同じように、喫煙本数も自分の状態を知るための数字なのだと思う。

タバコを吸った自分を責めても、本数は減らない

喫煙量が増えたことに対して、情けなさを感じる部分もある。

以前にもタバコをやめようと考えたことがある。それでも再び吸い始め、本数まで増えている。

「また失敗した」
「意志が弱い」
「自分で身体を悪くしている」

そう責めたくなる。

しかし、自分を責めるだけでは、なぜ本数が増えたのかは分からない。

作業中の区切りとして吸っていたのか。
疲労や不安を切り替えるために吸っていたのか。
手持ち無沙汰を埋めるためだったのか。
ニコチンが切れた不快感を、次の一本で解消していただけなのか。

必要なのは、自分を悪者にすることではなく、喫煙が生活のどこへ入り込んでいるのかを見ることだと思う。

原因が「性格」や「意志の弱さ」なら、何を変えればよいのか分からない。

しかし、特定の時間、行動、疲労、不安と喫煙が結びついているなら、その構造は観察できる。

血液検査への不安は、身体を無視できなくなった証拠

次の血液検査が怖いという気持ちは、できれば味わいたくなかった。

しかし、この不安がなければ、今の喫煙量について真剣に考えなかったかもしれない。

検査結果をよくするためだけに、直前だけ本数を減らしたいわけではない。

本当に確認したいのは、今の身体がどのような状態にあり、このままの吸い方を続けてよいと思っているのか、ということだ。

私は、タバコを吸ってしまった過去を変えることはできない。

けれど、吸っている本数を把握し、身体の状態を医師へ伝え、結果を自分の生活と結びつけて考えることはできる。

血液検査は、罰を受けるためのものではない。

今まで見ないようにしてきた身体の状態を、これからどう扱うか考えるための材料である。

数値がよくても、今の喫煙量をなかったことにはしない。
数値が悪くても、自分を責めるだけで終わらせない。

次の検査結果を、自分を裁く数字ではなく、これからの吸い方を考えるための現実的な材料として受け取りたい。

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