タバコに戻りたいわけではなかった
禁煙しているつもりだったのに、早朝のコンビニでタバコを買ってしまった。
吸いたくて仕方がなかった、という感じではない。タバコを吸っても、以前のように気分が切り替わるわけではないことは分かっている。味もおいしいとは感じないし、吸ったあとに残るのは満足感より後悔の方が大きい。
それでも、その朝は自然な流れのようにコンビニへ入り、タバコを手に取っていた。
そこで初めて、私は「タバコが好きだから吸う」という説明だけでは、この行動を理解できないのではないかと思った。
欲しかったのはタバコそのものではなく、吸うという一連の動作だったのかもしれない。
睡眠不足の早朝に起きる自動運転
その日は一睡もせずに朝を迎えていた。
夜通し何かに集中していると、自分ではそれほど疲れていないように感じることがある。頭は動いているし、外へ出ることもできる。しかし、普段なら途中で止められる行動が、そのまま最後まで進んでしまう。
早朝の静かな空気の中で外出し、帰り道にコンビニへ寄る。以前タバコを吸っていた頃には、よくあった流れだ。
その場面に入った瞬間、考えて選んだというより、昔の手順が再生されたような感覚があった。
「吸っても意味がない」と判断する前に、もうレジへ向かっていた。
今回のことで見えてきたのは、睡眠不足の早朝には、タバコへの強い欲求が生まれるというより、過去の習慣が自動的に動きやすくなるのではないか、ということだった。
CBDは禁煙の味方だと思っていた
最近、私は吸引するタイプのCBDを使っていた。
タバコではない。ニコチンも入っていない。だから、少なくとも喫煙よりはましだと思っていた。
実際、CBDを吸うことでタバコを避けられている感覚もあった。口寂しさを埋める代替手段として機能しているつもりだった。
けれども今回、別の見方が浮かんだ。
CBDを吸うときも、手に持ち、口元へ運び、息を吸い込み、煙のようなものを吐き出す。その動作は、タバコを吸うときとほとんど同じだ。
つまりCBDは、タバコの代わりになっていた一方で、「吸う人としての行動」を毎日練習し続ける道具にもなっていたのかもしれない。
禁煙とは、ニコチンを摂らないことだけではない。
私の場合は、何かを吸うという行動そのものが残っている限り、タバコへ戻るための橋も残ったままだった可能性がある。
意志の弱さではなく、仕組みの問題として見る
タバコを買ってしまうと、自分を責めたくなる。
何度も意味がないと確認したのに、なぜまた同じことをしたのか。やめると決めたはずなのに、どうして守れないのか。
けれども「意志が弱い」で終わらせると、次に何を変えればよいのかが分からない。
今回の流れには、かなり具体的な条件があった。
睡眠不足のまま朝を迎えたこと。早朝に外出したこと。帰りにコンビニへ寄ったこと。そして日頃からCBDで吸う動作を続けていたこと。
これらが重なった結果、タバコを買う行動が起動した。
そう考えると、必要なのは反省を深くすることではなく、行動が始まる仕組みを変えることになる。
CBDをやめるのは、自分を罰するためではない
今のところ、吸引型CBDはいったんやめた方がよいと感じている。
CBDそのものを悪いものだと決めつけたいわけではない。人によっては、タバコから離れるために役立つこともあると思う。
ただ、今の私にとっては、CBDが禁煙を支える道具なのか、それとも喫煙行動を保存する道具なのか、分からなくなった。
だから一度、吸うという動作をゼロにしてみる。
それは我慢大会ではなく、原因を確かめるための切り分けだ。
CBDをやめたあと、タバコを吸いたくなる回数が減るのか。睡眠不足の早朝に同じ衝動が起きるのか。そこを観察すれば、次の判断材料が得られる。
失敗した朝ではなく、条件が見えた朝
タバコを買ってしまった事実は変わらない。
けれども、その出来事から「自分はやはり禁煙できない」と結論づける必要もないと思う。
今回は、タバコそのものへの欲求だけでなく、睡眠不足、時間帯、コンビニ、CBD、過去の動作がつながっていたことに気づいた。
禁煙は、一本も吸わない強い人になることではなく、自分がどんな条件で自動運転に入るのかを知り、その条件を少しずつ外していくことなのかもしれない。
吸っても意味がないと頭で理解するだけでは足りなかった。
これから必要なのは、意味のない行動を我慢することではなく、意味を考える前に始まってしまう流れそのものを止めることだ。
あの朝は、禁煙に失敗した朝だった。
同時に、自分が何に引っ張られていたのかを、初めて具体的に見つけた朝でもあった。