体が回復に持っていかれた一日
引越作業のアルバイトをした翌日、ほとんど一日を回復に使ってしまった。
朝起きても体が重い。
足が痛い。
腰にも違和感がある。
手にも筋肉痛が残っている。
何か作業を進めたい気持ちはあるのに、体がついてこない。
結局、夕方からの別のアルバイトの直前まで、ほとんど横になって過ごした。
途中でオンラインレッスンを受ける時間はあったけれど、それ以外はほぼ睡眠と回復に使ったような一日だった。
こういう日が続くと、少し考えてしまう。
「この働き方は、本当に続けられるのだろうか」
疲労が翌日まで残る仕事
引越作業のアルバイトは、かなり体を使う。
ただ重いものを持つだけではない。
階段を上がる。
荷物を支える。
足元に気を配る。
相手の動きに合わせる。
転ばないように踏ん張る。
特に階段現場は、体への負担が大きい。
作業中に「今、腰に負担が入ったな」と感じる瞬間がある。
その時は何とか動けても、あとから痛みとして残る。
若い頃なら、多少無理をしても一晩寝れば戻ったかもしれない。
でも今は違う。
疲労が翌日に残る。
場合によっては、翌日がほぼ回復だけで終わる。
それは怠けているというより、体が現実的に回収を求めている感覚に近い。
それでも、体を動かせていることには価値がある
ただ、ここで簡単に「きついからやめた方がいい」とは思えない自分もいる。
この年齢になって、定期的にこれだけ体を動かせていること自体は、かなりありがたいことだとも感じている。
重いものを持つ。
階段を上がる。
長時間立って動く。
体幹で支える。
足腰を使う。
これは、普通に生活しているだけではなかなか得られない運動量だ。
サーフィンも体を使うけれど、毎回そこまで追い込めるわけではない。
プールに行けば運動にはなるけれど、今の泳力では、以前のように長い距離を泳いでしっかり負荷をかけるのは難しい。
そう考えると、引越作業のような仕事を通じて、ある程度の運動能力を保てていることには意味がある。
単なる労働ではなく、体力維持の側面もある。
「運動」と「損傷」の境目
ただし、ここで大事なのは、体を使うことそのものが良いか悪いかではない。
問題は、その負荷が
「体を強くする刺激」
になっているのか、
それとも
「回復しきれない損傷」
になっているのかだ。
運動として良い負荷なら、疲れる。
でも回復すれば、体は少し強くなる。
一方で、負荷が強すぎると、疲労ではなく痛みとして残る。
腰痛になる。
足首をかばう。
膝や腰に負担が逃げる。
そして、次の仕事までに回復しきらない。
そうなると、健康のための運動ではなく、体を削る働き方になってしまう。
今の自分は、その境目を少し超えかけているのかもしれない。
支店を変えても、階段現場はなくならない
一時期、支店を移動すれば負荷が減るのではないかとも考えた。
でも冷静に考えると、支店を変えたからといって階段現場が減るわけではない。
人間関係や相性の悪い人との組み合わせは変わるかもしれない。
精神的な負担は減るかもしれない。
でも、引越作業そのものの身体的負荷は残る。
階段現場はある。
重い荷物もある。
足腰への負担もある。
つまり、支店移動は精神面の調整にはなっても、身体負荷の根本解決にはならない。
そう考えると、見直すべきなのは「どこで働くか」だけではなく、「どの状態で働くか」なのだと思う。
半徹夜で高負荷労働をする危うさ
今回、かなり大きいと感じたのは、睡眠不足の影響だ。
引越作業の前日に徹夜や半徹夜に近い状態で出勤することがある。
その状態で階段現場に当たると、負荷は一気に大きくなる。
同じ作業でも、十分に寝ている時と、寝不足の時では全然違う。
判断力も落ちる。
踏ん張りも効きにくい。
体の反応も鈍る。
疲労も深く残る。
もしかすると、問題は引越作業そのものだけではなく、
「睡眠不足のまま高負荷労働をしていること」
にあるのかもしれない。
ここを見直さない限り、体の痛みは繰り返す気がする。
作業したいのに、体が動かない
悔しいのは、気持ちはあるのに体が動かないことだ。
ブログを書きたい。
サイトを改善したい。
リライトを進めたい。
将来につながる作業をしたい。
でも、足が痛くて立てない。
腰に違和感があって集中できない。
横になっているだけで時間が過ぎる。
これは単に「今日は疲れた」という話ではない。
自分の未来を作る時間が、体の回復に吸収されている。
もちろん、回復は必要だ。
体を無視して作業を続ければ、もっと大きく壊れる。
でも、毎回こうなるなら、働き方全体を考え直す必要がある。
体は、働き方の成績表かもしれない
最近思う。
体の痛みは、ただの不調ではなく、働き方の成績表なのかもしれない。
腰が痛い。
足が痛い。
疲労が抜けない。
翌日が全部消える。
それは、体が弱いという話ではなく、
「今の使い方では回復が追いついていません」
というサインなのだと思う。
だから、痛みを根性で無視するのではなく、情報として受け取る必要がある。
この仕事を続ける意味はある。
体を動かせている価値もある。
収入としての役割もある。
でも、そのために体を壊してしまったら本末転倒だ。
続けるなら、続けられる形に調整する必要がある。
体を使える自分を守りながら働く
引越作業ができる体を持っていることは、ありがたい。
この年齢で重いものを運び、階段を上がり、体を使って働けている。
それは、決して当たり前ではない。
だからこそ、その能力を雑に使い切ってはいけないのだと思う。
体を使えるなら、長く使えるようにしたい。
運動能力を保つなら、壊さず保ちたい。
働くなら、未来の自分が動けなくなる働き方にはしたくない。
今必要なのは、辞めるか続けるかを急いで決めることではない。
まずは、今の腰や足の状態をちゃんと確認すること。
そして、睡眠不足で高負荷の仕事に入る危険性を軽く見ないこと。
さらに、疲労が翌日をどれくらい奪っているのかを記録すること。
体は正直だ。
無理をすれば、あとから必ず請求が来る。
だからこれからは、体を責めるのではなく、体からのフィードバックを見ながら働き方を調整していきたい。
高負荷の仕事をしていること自体は、悪いことではない。
むしろ、体を保つ意味では価値がある。
ただし、それは回復できる範囲で続けられている場合に限る。
今の自分に必要なのは、もっと頑張ることではなく、体を使いながらも壊さない働き方を見つけることなのだと思う。