前日の夜から、翌朝はサーフィンに向いた波になりそうだと分かっていた。
できれば早朝に海へ行きたい。そう思いながら、長年運営してきたWebサイトのリニューアル作業を始めた。
作業内容は、過去に公開した大量の記事や画像を、新しいサイトへ安全に移すことだった。文章だけでなく、内部リンク、関連記事、商品紹介、画像の重複など、確認しなければならないことが多い。
本来なら、かなり気の重い作業だったと思う。
ところが、生成AIと一緒に進めているうちに、作業がどんどん面白くなっていった。
一つの問題を解決すると、次の問題が見つかる。それを調査し、修正方法を考え、小さな範囲で試す。問題がなければ、次の段階へ進む。
気がつけば夜が明けていた。
「仕事をしていて遊びに行けなかった」ではなかった
朝になった時点で、私は一睡もしていなかった。
その日は午前中に通院の予定もあった。徹夜した身体で海へ行き、その後に病院へ向かうのは、さすがに無理がある。
結果として、楽しみにしていたサーフィンは見送った。
良い波の日は、いつでも来るわけではない。海へ行けなかったことには、やはり残念な気持ちがあった。
しかし不思議なことに、「仕事のせいで遊べなかった」という後悔とは少し違っていた。
サイトのリニューアルを嫌々続けていたわけではない。誰かに急かされていたわけでもない。その時間自体が面白く、もっと先を見たくなって、自分で作業を続けていた。
そこで初めて、今回ぶつかっていたのは「仕事と遊び」ではなく、二つの異なる楽しさだったのだと気づいた。
サーフィンとWeb制作は、違う場所を満たしてくれる
サーフィンでは、波の動きを見て、自分の身体を合わせていく。
同じ海でも毎回状態が違い、思いどおりにいかない。その中で一本の波にうまく乗れたとき、頭で考えるより先に、身体全体で喜びを感じられる。
一方、Web制作では、複雑に絡まった問題を少しずつ整理し、最初は形のなかったものを仕組みとして完成させていく。
こちらは身体より、思考と判断を使う楽しさだ。
今回のリニューアルでは、生成AIが大量の情報を整理し、技術的な選択肢を示してくれた。私はその結果を確認し、どこまで自動化するか、どこから人間の目で判断するかを決めていった。
単純に作業を代行してもらっている感覚ではなかった。
自分一人では扱いきれなかった規模の仕事に手が届き、以前なら諦めていた方法を試せる。そのたびに、自分の制作能力が少し拡張されたように感じた。
海に入る楽しさとはまったく違う。それでも、時間を忘れるほど夢中になれるという点では、よく似ていた。
残念だったことと、満足したことは両立する
人は何かを選んだとき、その選択が正しかったことにするため、選ばなかったものの価値を小さく考えようとすることがある。
「サーフィンへ行かなくて正解だった」
「サイトが進んだから、それでよかった」
そう言い切れば、気持ちは整理しやすい。
けれど実際には、良い波を逃したことは残念だった。それと同時に、サイトが大きく前進したことには満足していた。
どちらか一方を否定しなくても、この二つは同時に存在できる。
選択に納得するというのは、失ったものを「大したことではなかった」と考えることではないのだと思う。
失ったものの価値も認めたうえで、それでも自分が選んだ時間には意味があったと受け止めることなのかもしれない。
徹夜の代金は、翌日に請求された
作業中は、疲労よりも面白さが勝っていた。
しかし、身体の負担が消えていたわけではない。
通院から帰ると強い疲労感があり、午後は長い時間眠った。一度は作業を再開できたものの、しばらくすると座っていることさえつらくなり、再び横になることになった。
徹夜の代金は、作業をしている最中ではなく、翌日の活動能力という形で請求された。
徹夜によって数時間多く作業できても、翌日の大半を回復に使えば、二日間で使える時間が増えたとは限らない。
それでも今回は、作業が大きく前進し、次に再開する場所も明確になった。そのため、回復に一日を使っても「何もできなかった」という感覚にはならなかった。
徹夜がよかったのではない。
回復コストを払っても納得できるほど、作業に意味と楽しさを感じていたのだと思う。
本当の選択は、朝ではなく前夜に始まっていた
朝になってから、海へ行くかどうかを考えた時点では、実質的な選択肢はほとんど残っていなかった。
徹夜していて、通院の予定もあり、身体には疲労が蓄積している。そこでサーフィンを見送ったのは、楽しさの比較というより安全上の判断だった。
本当の選択点は、前夜に新しい作業段階へ入ったときにあった。
結果が気になる作業は、始めると途中で止めにくい。特に生成AIとの作業は進行が速く、「あと一つ確認すれば次へ進める」という状態が連続する。
だから必要なのは、夢中にならないよう自分を抑えることではない。
翌朝に残したい時間や身体の余力まで含めて、作業をどこまで進めるか設計することなのだと思う。
ものづくりを、もう一度楽しめるようになった
Web制作を長く続けていると、納期や修正、対人調整などが重なり、作ることそのものの楽しさが見えにくくなる時期がある。
今回、生成AIと一緒にサイトを再構築する中で、久しぶりに「続きが見たいから作る」という感覚が戻ってきた。
それは、私にとって小さくない変化だった。
サーフィンを見送った朝は、単に仕事を優先した日ではない。
自分の中に、海とは別の場所でも、時間を忘れるほど夢中になれるものが残っていたと知った朝だった。
これから考えたいのは、どちらを優先するかではない。
サーフィンの楽しさも、生成AIとものを作る楽しさも、翌日の生活を失わずに続けられる形だ。
勢いを消すのではなく、勢いが次の日へつながる進め方へ変えていきたい。