いつもより眠れた朝だった
その日は、引越しのアルバイトがある日だった。
前日の21時30分ごろに眠り、目が覚めたのは午前2時30分。睡眠時間は5時間だった。
一般的に考えれば、5時間睡眠は決して長くない。
けれど、早朝から始まる仕事の前日は、どうしても睡眠時間が短くなりやすい。過去には2時間や3時間ほどしか眠れないまま仕事へ向かった日もあった。
それを考えると、5時間眠れた朝はかなりよく眠れた感覚があった。
身体にも強い疲労感はなかった。
「今日はいつもより状態がいいかもしれない」
そんなふうに思いながら、出勤の準備を始めた。
ところが、一つだけ妙なことがあった。
どうにも集中できない。
身体はそれほど疲れていないのに、頭がうまく動かないのである。
疲れていなければ集中できると思っていた
これまで私は、疲労と集中力をかなり近いものとして考えていたように思う。
疲れているから集中できない。
よく眠れたから頭も動く。
たしかに、そういう日は多い。
けれど、この日の状態はその説明だけではうまく当てはまらなかった。
身体はそれなりに動く。
眠気でふらふらしているわけでもない。
仕事へ行けないほどつらい感じもない。
それなのに、パソコンの前に座って何かを考えようとすると、思考がうまく一点に集まらない。
そこで初めて、
「身体の疲労」と「頭が集中できる状態」は、別々に考えたほうがいいのかもしれない
と思った。
睡眠時間という一つの数字だけで、その日の自分の状態を説明しようとすると、見えなくなるものがある。
身体は起きていても、頭はまだ起動していない
パソコンにたとえるなら、電源は入っているけれど、必要なアプリケーションがまだ全部立ち上がっていない感じに近かった。
歩ける。
着替えられる。
食事もできる。
出勤準備もできる。
けれど、新しいことを考えたり、複数の条件を比較して判断したりする処理だけが少し重い。
こういう状態で無理に難しい作業を始めると、あとになってやり直しが発生することがある。
Web制作の仕事でも、単純な確認作業と設計判断では必要な集中力がまったく違う。
たとえば、決められた内容を確認したり、処理結果をチェックしたり、メモを整理したりする仕事なら、それほど大きな判断は必要ない。
一方で、
「この仕様で本当にいいのか」
「どちらの設計を採用するのか」
「例外をどこまで認めるのか」
といった作業では、集中力が判断の質そのものに影響する。
身体が動くからといって、どんな仕事でもできるとは限らない。
この区別は、意外と大切なのかもしれない。
「今日は何ができる状態なのか」を見る
以前の私は、調子をかなり単純に判断していた。
元気か、疲れているか。
眠いか、眠くないか。
できるか、できないか。
でも実際の人間の状態は、もう少し複雑なのだと思う。
身体は元気だけれど頭は重い日もある。
逆に、身体は少し疲れているのに、妙に考えが冴えている日もある。
だから、「今日は調子がいいか悪いか」と一つの評価にまとめるより、
- 身体の疲労はどのくらいあるか
- 眠気はあるか
- 集中できるか
- 判断力はあるか
と分けて見たほうが、自分の状態を正確につかめる。
この日は、出勤までの短い時間に無理に大きな仕事を進めるのではなく、準備をしながら比較的軽い作業をすることにした。
何もしないのでもなく、無理に深い仕事へ入るのでもない。
今の状態で扱える種類の仕事を選ぶ。
それだけでも、ずいぶん違う。
睡眠時間だけでは分からないものがある
5時間眠れた。
疲労感もそれほどない。
それでも集中できない。
一見すると少し矛盾した状態だけれど、その矛盾に気づいたことで、自分を見る物差しが一つ増えた。
睡眠時間は大切だ。
けれど、「何時間眠ったか」だけで、その日の能力すべてが決まるわけではない。
身体の回復と、頭の回復。
そして集中力や判断力。
それぞれが同じ速度で回復するとは限らないのだろう。
働きながら生活していると、毎日を理想的なコンディションで過ごせるわけではない。
だからこそ必要なのは、常に100%の状態を作ることではなく、
今日の自分は、何なら問題なくできる状態なのかを見極めること
なのかもしれない。
「今日は集中できない」と感じたとき、それをすぐに怠けや不調と決めつけなくてもいい。
身体と頭を少し分けて観察してみる。
そうすると、自分を責める代わりに、その日の状態に合った仕事の選び方が見えてくることがある。
少なくとも私は、この5時間睡眠の朝に、そんなことを考えた。