何もできないと思っていたのに、記事だけは書けた
今日は疲労が強く、負荷の高い作業にまったく集中できなかった。
やるべきことは分かっている。時間も、まったくないわけではない。それなのに、作業を始めようとすると頭が重くなり、考えがうまくつながらない。
椅子に座り続けることさえつらく、しばらく布団に横になっていた。
こういう日は、「せっかく時間があるのに、何もできない」と考えてしまう。
しかし、不思議なことに、このブログの記事だけは書くことができた。
一つ書き終えると、また別の題材が浮かんだ。気がつけば、一日のうちにかなりの本数を書いていた。
集中できないと思っていたのに、文章は書けている。
そこでようやく、自分の状態を少し違う角度から見ることができた。
集中力は、一つの能力ではないのかもしれない
「今日は集中力がない」と感じると、すべての作業ができないように思えてしまう。
けれども、実際には作業によって使う力が違う。
Webサイトの実装や修正には、複数の条件を同時に確認する必要がある。
どのファイルを変更するのか。既存の機能へ影響しないか。表示は崩れないか。エラーが起きたとき、どこまで戻せばよいのか。
細かな判断を積み重ね、途中で何度も画面を切り替えなければならない。
疲れている日にこうした作業へ向かうと、一つ判断するたびに頭の力を使う。作業を始める前から、全体の重さに圧倒されることもある。
一方で、ブログを書くときは、その時点で自分の中にあるものを一つずつ外へ出していける。
今日起きたこと、感じたこと、迷ったこと。すでに自分の中にある材料を、文章として並べ直していく。
もちろん文章を書くにも集中力は必要だ。それでも、実装作業で求められる集中力とは、少し種類が違うのだと思う。
今日は「集中できない日」ではなく、正確には、
複雑な判断を続ける作業はできないが、感じたことを言葉にする作業はできる日
だった。
調子の悪い日に、できない作業だけを見ない
以前の私は、予定していた作業ができないと、それだけで一日を失敗のように感じることがあった。
本当はサイトの改善を進めたかった。将来の収入につながる作業をしたかった。それができなければ、何も前へ進んでいないように見える。
けれども、今日書いた記事も、未来に残るものではある。
今すぐ大きな成果を生むわけではないかもしれない。それでも、自分がその日に考えていたことを保存し、誰かが同じような状況になったときに読める形へ変えている。
少なくとも、何もしていなかったわけではない。
問題は、今日の自分ができなかったことだけを基準に、一日全体を評価してしまうことだった。
疲労が強い日に重い作業ができないのは、珍しいことではない。
そこで無理に難しい作業を始め、判断を誤ったり、途中で投げ出したりすれば、かえって翌日の修正作業を増やすこともある。
それなら、その日に使える力へ合わせて作業を変えた方がいい。
「できることをする」は逃げではない
できることだけを選ぶと、負荷の高い作業から逃げているように感じることがある。
本当にやるべきことを避けて、簡単な仕事だけをしているのではないか。そんな疑いが自分の中に出てくる。
確かに、いつも簡単な作業だけを選び続ければ、大切な仕事は進まない。
ただし、今日のように明らかに疲労が強い日にまで、同じ基準で考える必要はない。
重要なのは、重い作業を永遠に避けることではなく、実行できる日に回すことだ。
今日は文章を書く。
明日は、今日より頭が動くなら実装する。
それでも実装が重ければ、必要な項目を整理したり、作業手順を書き出したりして、着手するときの負担を減らす。
作業は、完成させる部分だけで成り立っているわけではない。
考えを言語化すること。材料を集めること。判断基準を決めること。明日開くファイルを用意しておくこと。
そうした前処理も、未来の作業を進めるための一部だ。
自分の状態に、仕事の方を合わせてみる
人は毎日、同じ能力を使えるわけではない。
文章が書ける日もあれば、コードを書ける日もある。体を動かす方が楽な日もあれば、横になりながら考えをまとめる方が合う日もある。
それなのに、毎日同じ仕事量と同じ集中力を求めると、できなかった部分ばかりが目につく。
今日、このブログの記事だけは書けたことで、私は「何ができないか」ではなく、「今は何ならできるか」を見ることができた。
たくさんの記事を書いたからといって、本来予定していた作業が進んだことにはならない。
それでも、今日は今日なりの形で前へ進んでいる。
調子がよい日に、負荷の高い作業を進める。
疲れている日は、文章を書く。考えを整理する。次の作業の入口を作る。
自分を無理に仕事へ合わせるだけではなく、今の自分に合わせて、仕事の種類を選び直す。
それは甘えではなく、長く働き続けるための現実的な工夫なのだと思う。